最新情報
- 10年08月19日・・・ダイエットと高血圧に役立つ
- 10年07月31日・・・私のがん治療に対する考え方 その4
- 10年07月30日・・・不整脈の原因と治し方 腸について考える
- 10年07月27日・・・私のがん治療に対する考え方 その3
- 10年07月14日・・・スポーツ文化としてのサッカー その3 最終回
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ダイエットと高血圧に役立つ
こんにちは、ホームページ「手のひら先生のリウマチ相談室」を運営している、手のひら先生こと長谷川和正です。「リウマチの広場(by 手のひら先生)」として、高麗手指鍼治療にまつわるお話をいたします。このほか「手のひら先生の治療日誌」と「手のひら先生のリウマチ相談室ブログ」もありますのでこちらもよろしくお願いたします 。
ダイエットと血圧
前にも書きましたが、私の独自理論からは最低血圧は、腸の働きが決めると言うものです。
この腸をいかに滑らかに動かすかが大事になってきます。腸の動きは血液循環に大事な要素です。還流してくる血液は、ふくらはぎと腸の動きが大きな役目を果たしています。
楽してそして腸の動きを改善してくれる。運動必要なし!
そんな便利なものが見つかりました。ダイエット効果もあります。
腸にやさしく、その神経も鎮めてくれます。
その証拠に「太くて長く、繋がって、そして色が良い」ウンコが規則的に出るようになります。
ストレスがかかると、腸は極端な動きをするようになります。極端に細くくびれたりその反動で何倍も太くなったり、異常な動きをするようになります。
太く繋がったウンコは、このようなことがなかったことを表します。
色が黒過ぎず黄色すぎず程よい茶褐色は、消化吸収がスムーズに行ったこと示します。
悪臭がしなければ、停滞していない証明です。
トイレに行ってもあっという間に済んでしまいます。
なにをしたかと言うと?
寒天を入れたゼリーを毎食食べているのです。
作り方は至極簡単です。
小さめのヨーグルトカップを使います。
水を温めながら粉寒天を溶かします。600ccに粉寒天5gです。溶けたらそこにジュースを注ぎます。
濃縮還元ジュースですからビタミン云々など関係ありません。
冷ましたら冷蔵庫に入れて固めます。
毎食半分ほど食べます。
一時はやった寒天ダイエットをご存じでしょうか?
最近見たテレビでは、医師がこの方法と運動で1年を掛けて、45kg痩せたことを紹介していました。
勿論血圧も安定しています。余分な物が体外に排出され、腸がリラックスをすれば、お腹は弾力を持った血液をためる入れ物になります。
どのようなことにも対応できる調節装置になるのです。
それがビヤ樽状態でパンパンに張っていれば、常に腹圧は高いはずです。
運動などで落とすと高血圧が治るなどは、このようなことが作用しているのです。
肥満や高血圧の方、簡単なのでお試しあれ
ダイエットと血圧
前にも書きましたが、私の独自理論からは最低血圧は、腸の働きが決めると言うものです。
この腸をいかに滑らかに動かすかが大事になってきます。腸の動きは血液循環に大事な要素です。還流してくる血液は、ふくらはぎと腸の動きが大きな役目を果たしています。
楽してそして腸の動きを改善してくれる。運動必要なし!
そんな便利なものが見つかりました。ダイエット効果もあります。
腸にやさしく、その神経も鎮めてくれます。
その証拠に「太くて長く、繋がって、そして色が良い」ウンコが規則的に出るようになります。
ストレスがかかると、腸は極端な動きをするようになります。極端に細くくびれたりその反動で何倍も太くなったり、異常な動きをするようになります。
太く繋がったウンコは、このようなことがなかったことを表します。
色が黒過ぎず黄色すぎず程よい茶褐色は、消化吸収がスムーズに行ったこと示します。
悪臭がしなければ、停滞していない証明です。
トイレに行ってもあっという間に済んでしまいます。
なにをしたかと言うと?
寒天を入れたゼリーを毎食食べているのです。
作り方は至極簡単です。
小さめのヨーグルトカップを使います。
水を温めながら粉寒天を溶かします。600ccに粉寒天5gです。溶けたらそこにジュースを注ぎます。
濃縮還元ジュースですからビタミン云々など関係ありません。
冷ましたら冷蔵庫に入れて固めます。
毎食半分ほど食べます。
一時はやった寒天ダイエットをご存じでしょうか?
最近見たテレビでは、医師がこの方法と運動で1年を掛けて、45kg痩せたことを紹介していました。
勿論血圧も安定しています。余分な物が体外に排出され、腸がリラックスをすれば、お腹は弾力を持った血液をためる入れ物になります。
どのようなことにも対応できる調節装置になるのです。
それがビヤ樽状態でパンパンに張っていれば、常に腹圧は高いはずです。
運動などで落とすと高血圧が治るなどは、このようなことが作用しているのです。
肥満や高血圧の方、簡単なのでお試しあれ
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2010年8月19日|コメント (0)|トラックバック (0)
カテゴリー:本態性高血圧
私のがん治療に対する考え方 その4
こんにちは、ホームページ「手のひら先生のリウマチ相談室」を運営している、手のひら先生こと長谷川和正です。「リウマチの広場(by 手のひら先生)」として、高麗手指鍼治療にまつわるお話をいたします。このほか「手のひら先生の治療日誌」と「手のひら先生のリウマチ相談室ブログ」もありますのでこちらもよろしくお願いたします 。
私のがん治療に対する考え方。 その4 桑田圭祐氏の食道がん
サザンオールスターズのボーカル桑田圭祐氏が健康診断で、早期の食道がんが見つかったと発表しました。
デビュー曲「渚のシンドバッド」から聞き始めたのですが、最初はそれほど熱心に聞いていたわけではありませんでした。
もう7年ほど前になるのでしょうか、初めて東欧に旅行することになりました。長旅なのでウォークマンをもって行こうと決めました。
今ならiPodと言う便利な物があるので、何百曲も持ち運びができるのでしょうが。
CDは5枚くらいしか持っていけません。厳選するしかないですね。
2日ほど借りたアパートメントで午前中はやることがないので、ほぼCDを聞くことしかありません。そして聞く曲もほぼ同じものに決まってしまいました。
全部日本では好きなアーチストと思っていたのですが、このような環境に置かれると順位が出来たしまうことに気が付きました。
徐々にサザンオールスターズのアルバムだけになってしまったのです。私はサザンの強いファンだったんだとその時初めて気が付きました。
その彼が今回食道がんになったと聞いた時はビックリしました。初期なので手術をして切除すれば、完治する可能性は高いと思います。
ただお姉さんも癌であることを考えると、遺伝的に癌に弱い体質を持っていることは言えるでしょう。
後は手術後、いかに免疫力を高めていけるかが重要です。
なるべく抗がん剤などは避けてほしいものです。
私の友人が脳溢血後長くリハビリでお世話になっていた医師が、喉頭がんにかかっていたらしいのです。切除してしばらくは良かったのですが、転移して舌癌を発症したそうです。
首と言う器官を見れば、脳と身体を結ぶ重要なものであると分かります。そこには免疫に関しては第1次防御システムがある訳で、そこが破られることは重大な結果をもたらすことが理解できます。
すなわち扁桃と言うところは、呼吸とともに運ばれてくる雑菌などに対処するため、他の組織よりリンパ球は1.5倍ほど集まっているそうです。
したがってたばこや、過度な飲酒などでここを刺激続ければ、免疫機構が破られることは自明です。
リンパ節、血流の集約されているところなので、転移の可能性も大きくなるようです。
このようなことがないため、日頃から注意をしたいものです。
と言っても戸惑うかたは多いと思います。
まずは生活を見直すこと。睡眠やストレス、食事内容などです。
しかし現代ではなかなか思うように変えられるものは少ないでしょう。仕事で頑張らなくてはいけないストレス社会ではなおさらです。
まず自身の習慣から変えられるものは積極的に変えてみましょう。
たばこ、飲酒、無駄な夜更かしなど。
そして食事は肉などの動物たんぱくを減らすか、それが出来なけれ一緒により多くの野菜を取ることです。現代食はビタミンと食物繊維が欠けがちです。
そして今回お勧めは、キノコ(茸)類を積極的に取ることです。椎茸などはかなりの抗腫瘍効果が望めるらしいです。ナメコでもなめたけでも、1週間に何回か食べることをお勧めいたします。
なお「手のひら先生のリウマチ相談室」では手のひら先生がおこなっている、リウマチを始めとする高麗手指鍼の難病治療を紹介しております。是非ご覧ください。
私のがん治療に対する考え方。 その4 桑田圭祐氏の食道がん
サザンオールスターズのボーカル桑田圭祐氏が健康診断で、早期の食道がんが見つかったと発表しました。
デビュー曲「渚のシンドバッド」から聞き始めたのですが、最初はそれほど熱心に聞いていたわけではありませんでした。
もう7年ほど前になるのでしょうか、初めて東欧に旅行することになりました。長旅なのでウォークマンをもって行こうと決めました。
今ならiPodと言う便利な物があるので、何百曲も持ち運びができるのでしょうが。
CDは5枚くらいしか持っていけません。厳選するしかないですね。
2日ほど借りたアパートメントで午前中はやることがないので、ほぼCDを聞くことしかありません。そして聞く曲もほぼ同じものに決まってしまいました。
全部日本では好きなアーチストと思っていたのですが、このような環境に置かれると順位が出来たしまうことに気が付きました。
徐々にサザンオールスターズのアルバムだけになってしまったのです。私はサザンの強いファンだったんだとその時初めて気が付きました。
その彼が今回食道がんになったと聞いた時はビックリしました。初期なので手術をして切除すれば、完治する可能性は高いと思います。
ただお姉さんも癌であることを考えると、遺伝的に癌に弱い体質を持っていることは言えるでしょう。
後は手術後、いかに免疫力を高めていけるかが重要です。
なるべく抗がん剤などは避けてほしいものです。
私の友人が脳溢血後長くリハビリでお世話になっていた医師が、喉頭がんにかかっていたらしいのです。切除してしばらくは良かったのですが、転移して舌癌を発症したそうです。
首と言う器官を見れば、脳と身体を結ぶ重要なものであると分かります。そこには免疫に関しては第1次防御システムがある訳で、そこが破られることは重大な結果をもたらすことが理解できます。
すなわち扁桃と言うところは、呼吸とともに運ばれてくる雑菌などに対処するため、他の組織よりリンパ球は1.5倍ほど集まっているそうです。
したがってたばこや、過度な飲酒などでここを刺激続ければ、免疫機構が破られることは自明です。
リンパ節、血流の集約されているところなので、転移の可能性も大きくなるようです。
このようなことがないため、日頃から注意をしたいものです。
と言っても戸惑うかたは多いと思います。
まずは生活を見直すこと。睡眠やストレス、食事内容などです。
しかし現代ではなかなか思うように変えられるものは少ないでしょう。仕事で頑張らなくてはいけないストレス社会ではなおさらです。
まず自身の習慣から変えられるものは積極的に変えてみましょう。
たばこ、飲酒、無駄な夜更かしなど。
そして食事は肉などの動物たんぱくを減らすか、それが出来なけれ一緒により多くの野菜を取ることです。現代食はビタミンと食物繊維が欠けがちです。
そして今回お勧めは、キノコ(茸)類を積極的に取ることです。椎茸などはかなりの抗腫瘍効果が望めるらしいです。ナメコでもなめたけでも、1週間に何回か食べることをお勧めいたします。
なお「手のひら先生のリウマチ相談室」では手のひら先生がおこなっている、リウマチを始めとする高麗手指鍼の難病治療を紹介しております。是非ご覧ください。
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2010年7月31日|コメント (0)|トラックバック (0)
カテゴリー:がん治療に対する考え方
不整脈の原因と治し方 腸について考える
こんにちは、ホームページ「手のひら先生のリウマチ相談室」を運営している、手のひら先生こと長谷川和正です。「リウマチの広場(by 手のひら先生)」として、高麗手指鍼治療にまつわるお話をいたします。このほか「手のひら先生の治療日誌」と「手のひら先生のリウマチ相談室ブログ」もありますのでこちらもよろしくお願いたします 。
最近の不整脈治療から考えること
鍼灸を習い始めたころ、伝統的な鍼治療「経絡治療と呼ばれることもありますが」は、心臓が悪くなったら人間は死んでしまうのだから、心臓を通る気の流れ道の経絡(心経)は治療しないのだ。こう聞いたことがありました。その後様々な治療があって、一概にそう決められていないと知りましたが。
不整脈の治療に限ってみれば、心臓そのものに問題があることは少ないものです。
血液循環を考えれば、心臓がポンプの役目で血液を送り出します。帰ってくる血液は、足の筋肉特にふくらはぎがポンプの役目をします。また腸の動きも循環に大きな役目を果たします。
特に東洋医学の考え方は、心臓と小腸は火に属し、心臓は昼に働き夜は小腸が働いて血液を巡らせるとしています。
夕食をとってだいたい4時間後ぐらいに就寝しますから、その頃は胃から小腸に食べた物は送られています。
胃袋に入っている時は腸は働きませんので、送られてきてから動き出す。人間のメカニズムとして、実に合理的にできているわけです。
余談ですが、股関節も下から上がってきた血液を一端ここにためて、ここの動きでポンプの役目をさせて、心臓に血液を上げると言う人もいます。股関節を柔らかくすることは大事なことかもしれません。
足が衰えると心臓が弱ると昔から言われています。これなどはこのようなことから言われていたのでしょう。
さて私は血液循環にとって、腸の動きはとても重要と考えています。
不整脈の治療をしていると、一層それを感じます。
心臓の経絡を調整しないで、腸全体の経絡三焦経と腎臓の経絡だけで、不整脈は治ってしまうのです。
三焦と言うのは、胃や腸を統括する気の流れと考えられています。これが血液循環のうち戻ってくる方の役目を担っているのです。
また動きが悪いことは血液をせき止める役を果たしていることも考えられます。
患者さんに便通のことを聞くと、ほとんどの方は普通ですと答えられます。
しかし腸と言うのは8メーターぐらいの長さがあるので、それが一律のリズムで動きつずけるのは難しいと思います。
このことはまだまだ研究の余地がありますが、食事内容も検討し腸とはどのようなものなのか、血液循環に占める位置について考えていきたい。
なお「手のひら先生のリウマチ相談室」では手のひら先生がおこなっている、リウマチを始めとする高麗手指鍼の難病治療を紹介しております。是非ご覧ください。
最近の不整脈治療から考えること
鍼灸を習い始めたころ、伝統的な鍼治療「経絡治療と呼ばれることもありますが」は、心臓が悪くなったら人間は死んでしまうのだから、心臓を通る気の流れ道の経絡(心経)は治療しないのだ。こう聞いたことがありました。その後様々な治療があって、一概にそう決められていないと知りましたが。
不整脈の治療に限ってみれば、心臓そのものに問題があることは少ないものです。
血液循環を考えれば、心臓がポンプの役目で血液を送り出します。帰ってくる血液は、足の筋肉特にふくらはぎがポンプの役目をします。また腸の動きも循環に大きな役目を果たします。
特に東洋医学の考え方は、心臓と小腸は火に属し、心臓は昼に働き夜は小腸が働いて血液を巡らせるとしています。
夕食をとってだいたい4時間後ぐらいに就寝しますから、その頃は胃から小腸に食べた物は送られています。
胃袋に入っている時は腸は働きませんので、送られてきてから動き出す。人間のメカニズムとして、実に合理的にできているわけです。
余談ですが、股関節も下から上がってきた血液を一端ここにためて、ここの動きでポンプの役目をさせて、心臓に血液を上げると言う人もいます。股関節を柔らかくすることは大事なことかもしれません。
足が衰えると心臓が弱ると昔から言われています。これなどはこのようなことから言われていたのでしょう。
さて私は血液循環にとって、腸の動きはとても重要と考えています。
不整脈の治療をしていると、一層それを感じます。
心臓の経絡を調整しないで、腸全体の経絡三焦経と腎臓の経絡だけで、不整脈は治ってしまうのです。
三焦と言うのは、胃や腸を統括する気の流れと考えられています。これが血液循環のうち戻ってくる方の役目を担っているのです。
また動きが悪いことは血液をせき止める役を果たしていることも考えられます。
患者さんに便通のことを聞くと、ほとんどの方は普通ですと答えられます。
しかし腸と言うのは8メーターぐらいの長さがあるので、それが一律のリズムで動きつずけるのは難しいと思います。
このことはまだまだ研究の余地がありますが、食事内容も検討し腸とはどのようなものなのか、血液循環に占める位置について考えていきたい。
なお「手のひら先生のリウマチ相談室」では手のひら先生がおこなっている、リウマチを始めとする高麗手指鍼の難病治療を紹介しております。是非ご覧ください。
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2010年7月30日|コメント (0)|トラックバック (0)
カテゴリー:不整脈
私のがん治療に対する考え方 その3
こんにちは、ホームページ「手のひら先生のリウマチ相談室」を運営している、手のひら先生こと長谷川和正です。「リウマチの広場(by 手のひら先生)」として、高麗手指鍼治療にまつわるお話をいたします。このほか「手のひら先生の治療日誌」と「手のひら先生のリウマチ相談室ブログ」もありますのでこちらもよろしくお願いたします 。
私のがんにたいする考え方 その3
私の高麗手指鍼の恩師、金成万先生は、20年弱前に末期がんを治したと評判でした。
昔放映されていた、日本テレビ「青島幸男の追跡」と言う番組でした。
肺がんの女性が出ていて、「もう目も開けられないぐらいに弱っていて、抱えられるように毎日治療を受けに来ていました。それが今はこのように元気になりました。」そのような画面でした。
全国から患者さんが押し寄せたそうです。私が先生のセミナーを受けたのは、テレビ出演の3年後ぐらいだったでしょうか。あまり患者さんが来られて儲かったこともあったのでしょうが、これで日本でも安定した生活が送れると判断されたのでしょう、恵比寿の駅近くのマンションに移られました。
先生が誤算だったのは、日本と韓国人の習性でした。
テレビの宣伝効果は日本では良くて1年くらいのものでしょう。転居のお知らせも出さず移ったので、患者は激減したようです。韓国では患者の方が、必死に先生を探し出してくれるようです。口コミの力もあちらでは強いそうです。
他の鍼灸師のように自費出版をして宣伝することを嫌わなければ、テレビの効果を持続させられなかったのかと私は思っています。「私はそのようなことは嫌いだ。」と言っていましたから、根っからの臨床家だったのかもしれません。
その先生が癌治療に関して話したことは2回ほどあります。1回はセミナー内で、もう1回は直接癌治療ではないのですが、それに関連する鍼の根本理論について話す機会があった時でした。
「わしが癌を治せるのは、1本1本気を込めて刺すからだ」と言われました。その時は「そんなこと言われてもナー?」と思ったのですが、今はそれは真実のことと理解しています。
鍼を刺しても治らない。その鍼を通して鍼灸師の「気」を患者に与えなければ、患者の病気を治せない。と言うのは鍼灸の根本理論であり、かつ真実なのです。
私はそれでは誰もが鍼でがんを治すことはできないと、独自の理論を12年ほど前に仮説として考えました。
その頃は開業直後で患者さんがほとんどいませんでした。そこで癌治療のための免疫について考え、様々な文献を読み込みました。
そこでこれならヘルパーT細胞を活性化し、高麗手指鍼の本来持つ治癒力を引き出せると思いました。
後者の高麗手指鍼の持つ潜在的な治癒力を引き出せるようになったのは、金先生のヒントも大いに役立ったのは言うまでもありません。でも今先生がご存命だったら、私の理論と技術に対しどのような評価をしていただけるか。勿論高評価を頂けると思っていますが、2人の独自の方法を合わせれば、もっと強力な高麗手指鍼がん治療が出来上がっていたかもしれません。
このような仮説を立ててその治療方法を準備しておくと、必ずそのような患者さんが見えることになります。
最初の患者さんは、C型肝炎でした。
頼まれたのは「脊柱管狭窄症」と言うことでした。伺うとC型肝炎も持っているとのことでした。
脊柱管狭窄症の方は週2回、3か月の治療で治りました。今まで行けなかった孫との旅行も出来ました。
それで信頼を得たのでしょう。「実は以前あった肝臓の腫瘍が消えました。しかし新しいものがまたできているそうなのです。」「ではその治療を行いましょう」
脊柱管狭窄症の治療の中に、がん対策としての免疫をあげる治療も行っていました。このことを聞いた時には「やった。やはり仮説は正しかった」とガッツポーズでした。
それからさらに先生のおっしゃっていた「気」についても考え、「気」はすなわち身体を流れる電気であるので、これを高める方法を考えました。「気」=経絡を流れる生体電気と考えられています。
その方法と器具考案に3年かかりました。さらに特許申請から6年かかり取得したわけです。
先生がおっしゃっていたのは「治療が追いつくか、癌の進行が早いかの勝負だ」と言うことです。
治療回数の問題もあるでしょう。
私のがん治療のケースには、亡くなった方もいらっしゃいます。しかし肺がんと他の転移癌を併発されていたのが、亡くなられましたが肺がんは消えていたと言う報告は何例もいただいています。
急速に進行する癌はやはり対処不可能だった例もあります。
ごく最近の例は1年ほどかかって完治した「転移した前立腺がん」でした。
鍼でがんが治ると言うことを信ずるのは、現代ではなかなか難しいものがあります。幸いこちらのお話も理解していただき、実際は転移したがんも9カ月ほどで治っていたはずですが、MRIで確認出来たのはその3カ月ほど後でした。
骨とリンパに転移したものが治ると言うのは、やはり先生がおっしゃっていた「骨に移った癌を治せるのは、この高麗手指鍼だけだ」と言うことを証明できた瞬間でもありました。
1度完治すれば免疫力が高まったまたは戻ったということなので、簡単には再発はしないと思います。
進行の比較的遅いがんなら、このように完治することは可能です。
次に考えるの急激な進行がんになるでしょう。
なお「手のひら先生のリウマチ相談室」では手のひら先生がおこなっている、リウマチを始めとする高麗手指鍼の難病治療を紹介しております。是非ご覧ください。
私のがんにたいする考え方 その3
私の高麗手指鍼の恩師、金成万先生は、20年弱前に末期がんを治したと評判でした。
昔放映されていた、日本テレビ「青島幸男の追跡」と言う番組でした。
肺がんの女性が出ていて、「もう目も開けられないぐらいに弱っていて、抱えられるように毎日治療を受けに来ていました。それが今はこのように元気になりました。」そのような画面でした。
全国から患者さんが押し寄せたそうです。私が先生のセミナーを受けたのは、テレビ出演の3年後ぐらいだったでしょうか。あまり患者さんが来られて儲かったこともあったのでしょうが、これで日本でも安定した生活が送れると判断されたのでしょう、恵比寿の駅近くのマンションに移られました。
先生が誤算だったのは、日本と韓国人の習性でした。
テレビの宣伝効果は日本では良くて1年くらいのものでしょう。転居のお知らせも出さず移ったので、患者は激減したようです。韓国では患者の方が、必死に先生を探し出してくれるようです。口コミの力もあちらでは強いそうです。
他の鍼灸師のように自費出版をして宣伝することを嫌わなければ、テレビの効果を持続させられなかったのかと私は思っています。「私はそのようなことは嫌いだ。」と言っていましたから、根っからの臨床家だったのかもしれません。
その先生が癌治療に関して話したことは2回ほどあります。1回はセミナー内で、もう1回は直接癌治療ではないのですが、それに関連する鍼の根本理論について話す機会があった時でした。
「わしが癌を治せるのは、1本1本気を込めて刺すからだ」と言われました。その時は「そんなこと言われてもナー?」と思ったのですが、今はそれは真実のことと理解しています。
鍼を刺しても治らない。その鍼を通して鍼灸師の「気」を患者に与えなければ、患者の病気を治せない。と言うのは鍼灸の根本理論であり、かつ真実なのです。
私はそれでは誰もが鍼でがんを治すことはできないと、独自の理論を12年ほど前に仮説として考えました。
その頃は開業直後で患者さんがほとんどいませんでした。そこで癌治療のための免疫について考え、様々な文献を読み込みました。
そこでこれならヘルパーT細胞を活性化し、高麗手指鍼の本来持つ治癒力を引き出せると思いました。
後者の高麗手指鍼の持つ潜在的な治癒力を引き出せるようになったのは、金先生のヒントも大いに役立ったのは言うまでもありません。でも今先生がご存命だったら、私の理論と技術に対しどのような評価をしていただけるか。勿論高評価を頂けると思っていますが、2人の独自の方法を合わせれば、もっと強力な高麗手指鍼がん治療が出来上がっていたかもしれません。
このような仮説を立ててその治療方法を準備しておくと、必ずそのような患者さんが見えることになります。
最初の患者さんは、C型肝炎でした。
頼まれたのは「脊柱管狭窄症」と言うことでした。伺うとC型肝炎も持っているとのことでした。
脊柱管狭窄症の方は週2回、3か月の治療で治りました。今まで行けなかった孫との旅行も出来ました。
それで信頼を得たのでしょう。「実は以前あった肝臓の腫瘍が消えました。しかし新しいものがまたできているそうなのです。」「ではその治療を行いましょう」
脊柱管狭窄症の治療の中に、がん対策としての免疫をあげる治療も行っていました。このことを聞いた時には「やった。やはり仮説は正しかった」とガッツポーズでした。
それからさらに先生のおっしゃっていた「気」についても考え、「気」はすなわち身体を流れる電気であるので、これを高める方法を考えました。「気」=経絡を流れる生体電気と考えられています。
その方法と器具考案に3年かかりました。さらに特許申請から6年かかり取得したわけです。
先生がおっしゃっていたのは「治療が追いつくか、癌の進行が早いかの勝負だ」と言うことです。
治療回数の問題もあるでしょう。
私のがん治療のケースには、亡くなった方もいらっしゃいます。しかし肺がんと他の転移癌を併発されていたのが、亡くなられましたが肺がんは消えていたと言う報告は何例もいただいています。
急速に進行する癌はやはり対処不可能だった例もあります。
ごく最近の例は1年ほどかかって完治した「転移した前立腺がん」でした。
鍼でがんが治ると言うことを信ずるのは、現代ではなかなか難しいものがあります。幸いこちらのお話も理解していただき、実際は転移したがんも9カ月ほどで治っていたはずですが、MRIで確認出来たのはその3カ月ほど後でした。
骨とリンパに転移したものが治ると言うのは、やはり先生がおっしゃっていた「骨に移った癌を治せるのは、この高麗手指鍼だけだ」と言うことを証明できた瞬間でもありました。
1度完治すれば免疫力が高まったまたは戻ったということなので、簡単には再発はしないと思います。
進行の比較的遅いがんなら、このように完治することは可能です。
次に考えるの急激な進行がんになるでしょう。
なお「手のひら先生のリウマチ相談室」では手のひら先生がおこなっている、リウマチを始めとする高麗手指鍼の難病治療を紹介しております。是非ご覧ください。
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2010年7月27日|コメント (0)|トラックバック (0)
カテゴリー:がん治療に対する考え方
スポーツ文化としてのサッカー その3 最終回
こんにちは、ホームページ「手のひら先生のリウマチ相談室」を運営している、手のひら先生こと長谷川和正です。「リウマチの広場(by 手のひら先生)」として、高麗手指鍼治療にまつわるお話をいたします。このほか「手のひら先生の治療日誌」と「手のひら先生のリウマチ相談室ブログ」もありますのでこちらもよろしくお願いたします 。
スポーツ文化としてのサッカー その3 最終回
最終日は何と幸運なことか、全国高校サッカー選手権静岡県大会決勝戦でした。勧められるままに静岡草薙球場に向かいました。
草薙球場というのは読売巨人軍がその昔行った、伝説の草薙の猛練習がありました。また私たちの職業との関係では、面疔治療で有名な草薙の灸があります。昔は不衛生なこともあり、顔にできるおできで死ぬ人も多く、恐れられていた病気です。
面疔を患った方が東京から治療にきて、帰りの列車に乗った時から皮が破れ膿が出て治った。そのような話を読んだことがあります。全国には土地の名を冠にしたお灸が各地にあります。そんな場所の一つです。
サッカー場に足を運ぶのは今回が初めてです。
対戦は東海大学付属第一高等学校と清水東高等学校です。清水市で知っていたのは清水東と清水商業ぐらいで、東海第一は初めて聞く名前でした。
会場の入りは70パーセントというところだったでしょうか。普通だったらほとんどが学校関係者か、一部のサッカー好きでしょう。その後びっくりすることがあったのです。
まだまだその頃のサッカーは発展途上で、ボールがあちらに行けば選手はそちらに行って、さながら団子状に取り囲む様な有様でした。
球場の角にいたので、相手のゴールに選手が行ってしまうと豆粒のようにしか見えません。その時階段状の観覧席ななめ上のほうから声がします。「駄目だね転がったよ。沢登は昔からよくこけるのよ」
豆粒のようにしか見えないのに、選手一人ひとりがわかるようです。
その声は女性でした。その後も耳をそばだてると、どうもスポーツ少年団を見ている小学校の先生らしいのです。
小学生のとこからみている子供たちが育って、今両チームで争っている。どの子も顔見知りで両方のチームを応援しているのです。
この年は東海第一高校が代表になりました。その時のエース沢登選手はその後清水エスパルスや日本代表で活躍し、現在は解説者になられています。
帰りがけに購入したのは、清水市のサッカーマガジンでした。
その中には小学生のスポーツ障害の特集もありました。競争が激しいのでレギュラー争いも半端ではなさそうで、少々の障害が起きても隠してプレーをする子供たちが多いようです。
処置を早くすると共に、指導者が早くそれを発見しブレーキをかけることの重要性を、そこでは早くも指摘していました。
堀田氏とのインタビューの中で確認しておいたことがあります。それはもし経済的に恵まれない選手がいたときはどうするのかということです。もちろん教育者なのでそこはぬかりなく、答えは「最低限のことで参加できるように配慮されている」とのことでした。
文化としてのスポーツが、これほど清水市には根付いていたのかと感銘して帰ったことでした。
日本全体ではまだまだスポーツは文化としての認識はありません。
スポーツは単に楽しむだけでよいのです。しかし文化としての背景を感じなくては、世界から見ても後進国として甘んじざるをえません。
未だ一流の選手がオフに招かれて、テレビのお笑い番組でおちょくられるなど、外国では考えられないのではないでしょう。
たとえお金儲けのプロであっても、日本文化を支える人として「リスペクト」されることが望まれます。
なお「手のひら先生のリウマチ相談室」では手のひら先生がおこなっている、リウマチを始めとする高麗手指鍼の難病治療を紹介しております。是非ご覧ください
スポーツ文化としてのサッカー その3 最終回
最終日は何と幸運なことか、全国高校サッカー選手権静岡県大会決勝戦でした。勧められるままに静岡草薙球場に向かいました。
草薙球場というのは読売巨人軍がその昔行った、伝説の草薙の猛練習がありました。また私たちの職業との関係では、面疔治療で有名な草薙の灸があります。昔は不衛生なこともあり、顔にできるおできで死ぬ人も多く、恐れられていた病気です。
面疔を患った方が東京から治療にきて、帰りの列車に乗った時から皮が破れ膿が出て治った。そのような話を読んだことがあります。全国には土地の名を冠にしたお灸が各地にあります。そんな場所の一つです。
サッカー場に足を運ぶのは今回が初めてです。
対戦は東海大学付属第一高等学校と清水東高等学校です。清水市で知っていたのは清水東と清水商業ぐらいで、東海第一は初めて聞く名前でした。
会場の入りは70パーセントというところだったでしょうか。普通だったらほとんどが学校関係者か、一部のサッカー好きでしょう。その後びっくりすることがあったのです。
まだまだその頃のサッカーは発展途上で、ボールがあちらに行けば選手はそちらに行って、さながら団子状に取り囲む様な有様でした。
球場の角にいたので、相手のゴールに選手が行ってしまうと豆粒のようにしか見えません。その時階段状の観覧席ななめ上のほうから声がします。「駄目だね転がったよ。沢登は昔からよくこけるのよ」
豆粒のようにしか見えないのに、選手一人ひとりがわかるようです。
その声は女性でした。その後も耳をそばだてると、どうもスポーツ少年団を見ている小学校の先生らしいのです。
小学生のとこからみている子供たちが育って、今両チームで争っている。どの子も顔見知りで両方のチームを応援しているのです。
この年は東海第一高校が代表になりました。その時のエース沢登選手はその後清水エスパルスや日本代表で活躍し、現在は解説者になられています。
帰りがけに購入したのは、清水市のサッカーマガジンでした。
その中には小学生のスポーツ障害の特集もありました。競争が激しいのでレギュラー争いも半端ではなさそうで、少々の障害が起きても隠してプレーをする子供たちが多いようです。
処置を早くすると共に、指導者が早くそれを発見しブレーキをかけることの重要性を、そこでは早くも指摘していました。
堀田氏とのインタビューの中で確認しておいたことがあります。それはもし経済的に恵まれない選手がいたときはどうするのかということです。もちろん教育者なのでそこはぬかりなく、答えは「最低限のことで参加できるように配慮されている」とのことでした。
文化としてのスポーツが、これほど清水市には根付いていたのかと感銘して帰ったことでした。
日本全体ではまだまだスポーツは文化としての認識はありません。
スポーツは単に楽しむだけでよいのです。しかし文化としての背景を感じなくては、世界から見ても後進国として甘んじざるをえません。
未だ一流の選手がオフに招かれて、テレビのお笑い番組でおちょくられるなど、外国では考えられないのではないでしょう。
たとえお金儲けのプロであっても、日本文化を支える人として「リスペクト」されることが望まれます。
なお「手のひら先生のリウマチ相談室」では手のひら先生がおこなっている、リウマチを始めとする高麗手指鍼の難病治療を紹介しております。是非ご覧ください
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2010年7月14日|コメント (0)|トラックバック (0)
カテゴリー:つれずれ思ったこと
スポーツ文化としてのサッカー その2
こんにちは、ホームページ「手のひら先生のリウマチ相談室」を運営している、手のひら先生こと長谷川和正です。「リウマチの広場(by 手のひら先生)」として、高麗手指鍼治療にまつわるお話をいたします。このほか「手のひら先生の治療日誌」と「手のひら先生のリウマチ相談室ブログ」もありますのでこちらもよろしくお願いたします 。
さて初日、堀田さんを清水市役所にたずねました。資料がないので考えて、インタビューを中心にしようと考えて、テープレコーダーを持参しました。
およそ2時間くらいのインタビューだったでしょうか。
挨拶をし、東京都府中市から来ましたと言うと「いつも府ロクさんにはお世話になっております」と言われました。
府ロクというのは、私のすぐそばの小学校、府中第六小学校で行われているサッカークラブのことです。全国的にも有名で、川崎フロンターレの中村憲剛や読売ベレーザの澤ともえ選手も、小学生の時はここのメンバーであったのは有名です。
意外なところでつながりがあって、一気に距離感がなくなりました。
彼が清水市でサッカーを広めるにあたり、戦略を考えました。子供に教える前にまず指導者をサッカー好きにしようと考えたそうです。
案の定先生たちはすぐサッカーに夢中になり、それが子供たちに広まったそうです。
今の日本のサッカーを強くするためには、高校生のサッカーを強くしてもだめである。もっと上のプロのチームを作り、みんながそれに向かって切磋琢磨しないと、決して強くはならないというものでした。
監督論について、
監督とは哲学者でなければならない。これはサッカーについて深い知識と、独自の見識がなければならないということの意味と取りました。
監督は文化人類学者でなければならない。ヨーロッパのチームなどを見ても、地元の選手のほかに東欧・ヨーロッパ・ブラジル・アフリカ・アジアなど、さまざまな人種が属している。これらの選手を理解するには、人類学を理解する必要があるということなのです。
私の見る限りで、中田英寿がイタリアでプレーしていた時、アジア人だったからか嫌われていたようにも思ったことがありました。このような監督はその資格がないということでしょう。
監督は心理学者でなければならない。これはどのスポーツに関わる監督にも通じることで、選手の特性を理解し自尊心を失わないように育成し使っていかなければならない。
監督は地理学者でなければならない。これはあまり理解できなかったのですが、彼言うにサッカーが盛んなところは様々な人々が流入する、交通の要衝となるようなところで発展するそうなのです。ということで地理の理解も必要なのです。
監督は言語学者でなければならない。言葉は共通認識にとって必要です。であるからこのようなところにも、認識は必要ということなのでしょう。
このような要素を備えた監督の名前をかなりあげて説明してくれましたが、その時の私は残念ながらほとんど知りませんでした。
思い出せるのはこのぐらいですが、サッカーの監督とは実に深い見識がないとできないものだ、そう理解しました。
選手は技術を磨き経験を積めば世界レベルに達することができるはずです。でも監督として成功するためには、文化的な背景まで理解できる能力がないとできない。単に戦術や戦略などを考えるだけでは、決して一流の監督としては認められないのです。
今回たまたま選手のレベルが高くなり、ワールドカップでそれなりの成績を残せました。しかし4年後これ以上を望むには、選手の努力やレベルアップは必要ですが、それ以上に肝心なのは監督の人選なのです。
この訪問の3年後華々しくJリーグが開幕し、そして今日のように発展してきました。彼の言うようにプロリーグができて、初めて日本のサッカーがレベルアップしてきたのでした。
この時話に出てきた山梨韮崎高校の選手がデビューした時から、注目してきたのが中田英寿選手でした。まさに堀田さんの話を具現化したのが、彼なのかなと思いました。
オシムが日本のサッカーを変えて呉れるはずでしたが、残念にも脳溢血で道半ばで挫折してしまいました。
しかし遠藤選手が飛躍的に変わったのは、やはりオシムのおかげでした。
ぜひ時期の監督はサッカー文化の偏差値が高い、外国監督に来てもらいたいものです。
報告はこのインタビューと、サッカーの歴史を初めて文化としてとらえた岩波新書と、小学生の運動能力について書かれた本、そして都道府県が教育に掛ける予算などを分析した本を参考にまとめました。
最後は徹夜間でしてまとめ、かなり苦労はしました。
結果ですか?ほとんど反響はありません。地方公務員なんてそんなレベルです。
さて初日、堀田さんを清水市役所にたずねました。資料がないので考えて、インタビューを中心にしようと考えて、テープレコーダーを持参しました。
およそ2時間くらいのインタビューだったでしょうか。
挨拶をし、東京都府中市から来ましたと言うと「いつも府ロクさんにはお世話になっております」と言われました。
府ロクというのは、私のすぐそばの小学校、府中第六小学校で行われているサッカークラブのことです。全国的にも有名で、川崎フロンターレの中村憲剛や読売ベレーザの澤ともえ選手も、小学生の時はここのメンバーであったのは有名です。
意外なところでつながりがあって、一気に距離感がなくなりました。
彼が清水市でサッカーを広めるにあたり、戦略を考えました。子供に教える前にまず指導者をサッカー好きにしようと考えたそうです。
案の定先生たちはすぐサッカーに夢中になり、それが子供たちに広まったそうです。
今の日本のサッカーを強くするためには、高校生のサッカーを強くしてもだめである。もっと上のプロのチームを作り、みんながそれに向かって切磋琢磨しないと、決して強くはならないというものでした。
監督論について、
監督とは哲学者でなければならない。これはサッカーについて深い知識と、独自の見識がなければならないということの意味と取りました。
監督は文化人類学者でなければならない。ヨーロッパのチームなどを見ても、地元の選手のほかに東欧・ヨーロッパ・ブラジル・アフリカ・アジアなど、さまざまな人種が属している。これらの選手を理解するには、人類学を理解する必要があるということなのです。
私の見る限りで、中田英寿がイタリアでプレーしていた時、アジア人だったからか嫌われていたようにも思ったことがありました。このような監督はその資格がないということでしょう。
監督は心理学者でなければならない。これはどのスポーツに関わる監督にも通じることで、選手の特性を理解し自尊心を失わないように育成し使っていかなければならない。
監督は地理学者でなければならない。これはあまり理解できなかったのですが、彼言うにサッカーが盛んなところは様々な人々が流入する、交通の要衝となるようなところで発展するそうなのです。ということで地理の理解も必要なのです。
監督は言語学者でなければならない。言葉は共通認識にとって必要です。であるからこのようなところにも、認識は必要ということなのでしょう。
このような要素を備えた監督の名前をかなりあげて説明してくれましたが、その時の私は残念ながらほとんど知りませんでした。
思い出せるのはこのぐらいですが、サッカーの監督とは実に深い見識がないとできないものだ、そう理解しました。
選手は技術を磨き経験を積めば世界レベルに達することができるはずです。でも監督として成功するためには、文化的な背景まで理解できる能力がないとできない。単に戦術や戦略などを考えるだけでは、決して一流の監督としては認められないのです。
今回たまたま選手のレベルが高くなり、ワールドカップでそれなりの成績を残せました。しかし4年後これ以上を望むには、選手の努力やレベルアップは必要ですが、それ以上に肝心なのは監督の人選なのです。
この訪問の3年後華々しくJリーグが開幕し、そして今日のように発展してきました。彼の言うようにプロリーグができて、初めて日本のサッカーがレベルアップしてきたのでした。
この時話に出てきた山梨韮崎高校の選手がデビューした時から、注目してきたのが中田英寿選手でした。まさに堀田さんの話を具現化したのが、彼なのかなと思いました。
オシムが日本のサッカーを変えて呉れるはずでしたが、残念にも脳溢血で道半ばで挫折してしまいました。
しかし遠藤選手が飛躍的に変わったのは、やはりオシムのおかげでした。
ぜひ時期の監督はサッカー文化の偏差値が高い、外国監督に来てもらいたいものです。
報告はこのインタビューと、サッカーの歴史を初めて文化としてとらえた岩波新書と、小学生の運動能力について書かれた本、そして都道府県が教育に掛ける予算などを分析した本を参考にまとめました。
最後は徹夜間でしてまとめ、かなり苦労はしました。
結果ですか?ほとんど反響はありません。地方公務員なんてそんなレベルです。
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2010年7月13日|コメント (0)|トラックバック (0)
カテゴリー:つれずれ思ったこと
スポーツ文化としてのサッカー その1
こんにちは、ホームページ「手のひら先生のリウマチ相談室」を運営している、手のひら先生こと長谷川和正です。「リウマチの広場(by 手のひら先生)」として、高麗手指鍼治療にまつわるお話をいたします。このほか「手のひら先生の治療日誌」と「手のひら先生のリウマチ相談室ブログ」もありますのでこちらもよろしくお願いたします 。
今日は見るだけのサッカーファンとして、サッカーワールドカップについて、私も書いてみます。
私が本格的にサッカーに興味を持ったのは、Jリーグが発足する1993年の3年ほど前でした。
私の勤めていた東京都府中市は、市職員の自己啓発制度がありました。制限はなく何でもよいから市のためになるような研究を行ってくるというものでした。
私は最初冷やかな目で見ていました。
最初は定3名の定員に候補者が殺到し、審査するほどでした。毎年のように候補者が現れて、次々と報告が冊子となって回って来ました。
なんでこんなに人気があったと思いますか?
それは自分を売り込む絶好の機会と捉えた者が多かったからです。団塊の世代の我々は、仕事で差がつかない公務員生活を送っていました。そこに画期的なものが出てきたということなのです。
結果はどれもこれも同じようなものが報告されたのです。
公務員と言うのは同じような性質、性格をもった動物なのです。何年かやっていると頭がそうなってしまうのです。
ですからどこかの市町村に行って研究するのですが、その際研究対象はいわゆる箱モノです。行ってくる来ることより、帰ってから報告書をまとめる為の資料が豊富なことが、その研究対象になるのです。
箱モノでたとえば立派な芸術劇場を建てたとしましょう。まずどのような物を建てるか検討委員会が発足します。何回も重ねられた会議録が残ります。使用目的の検討、デザイナーや業者の選定、様々な段階での検討資料がもらえるのです。
行ってくるより帰ってから、それが公務員根性です。
やがて努力は出世に何にも役立たないことが分かると、志願者は無くなります。金太郎あめのような研究報告を行っても、誰も感心しないのだから自明の結果なのです。
担当者は困ってしまいますよね。この方親しくはなかったのですが、かなり個性的で理論家肌の人でした。
制度が始まって6、7年ほどたった時でしょうか、思った通り私のところに来ましたね。「やってくれない。やる奴がいなくなっちゃったんだよ。お願い」
頼まれたなら仕方がないので、私は確か3つほどテーマを上げて、その中から選んでもらうことにしました。
そのひとつが「サッカー文化について」でした。実は本当のところはこれを選んでほしくなかったのです。まとめるのが大変そうでしたから。
ところが案の定これをやってと言われてしまいました。
現在その考え方は徐々に変わってきていますが、日本ではスポーツをするものは「勉強が出来ない、頭が悪い奴がやるもの」と言う意識がありました。いわんやスポーツを文化としてとらえることなど、一般の認識にはありません。
サッカーの経験など、小学校中学校でボール蹴り程度の経験しかありません。さて資料集めをしなくてはなりません。
今のようにインターネットなどない時代です。市の図書館に行きますが、スポーツ文化の資料など皆無です。
船を漕ぎだしたのは好いが、取り付く島もなくいきなり大海原に出てしまいました。
困った時の国会図書館でした。卒論でお世話になったので、躊躇することなく向かいました。
しかしサッカーと文化について書かれたようなものは全くありませんでした。
あったのは「サッカーマガジン」などの月刊誌だけでした。
これらのバックナンバーを丹念に辿っていくと、日本のサッカー発展の歴史が分かるようになりました。
日本ではスポーツは学校から始まることが多いのです。野球もしかりです。特に目にとまったのは高校サッカーです。
埼玉の浦和、静岡の藤枝、清水、京都、九州の大分、福岡、鹿児島だったでしょうか。
そこで清水市を選定しました。調べてみるとここのサッカーは、一人の教師が発展のキーポイントであったのでした。
ひとしきり調べてみたのでですが、はて肝心な文化とどのように結びつくかが見えてきません。そこで今は教師から市の体育科の課長になられていた、堀田氏に電話を掛けることになりました。
ひとしきり訪問の趣旨を話し承諾を得た後「ところでサッカー文化について書かれた文献などあるでしょうか」返事はこうです。「あんたそんなものあるわけないでしょう」つい公務員根性が出てしまい、怒られてしまいました。
訪問時の話は次に書きます。
その日の夕方、「今日は清水FCの練習があるから見に来なさい」と言うことで、午後5時頃でした。小学校の校庭には立派な照明設備がありました。そこにはスポーツ少年団の指導者もいらっしゃって、挨拶をして訪問の目的を話し名刺交換をしました。ここでもいろいろ貴重なお話をうかがえました。
なにしろ清水市のサッカーは盛んで、小学校の試合で入場料をとっても観客が集まるそうです。そこで潤沢な資金で、市内の小中学校にはすべて照明設備が整っているそうなのです。
清水FCの練習は始めてみたのですが、目を見張るようなものでした。小学生は中学校生、中学生は高校生か大学生、高校生は大人が練習しているような迫力でした。
その日は堀田氏が来るということで、選手はかなり緊張していたみたいでした。その練習風景は今も目に焼き付いていますが、その時飛んでいたアドバイスは即今の日本代表やJリーガーにも通じるものでした。そのくらいレベルの高い内容でした。
今日は見るだけのサッカーファンとして、サッカーワールドカップについて、私も書いてみます。
私が本格的にサッカーに興味を持ったのは、Jリーグが発足する1993年の3年ほど前でした。
私の勤めていた東京都府中市は、市職員の自己啓発制度がありました。制限はなく何でもよいから市のためになるような研究を行ってくるというものでした。
私は最初冷やかな目で見ていました。
最初は定3名の定員に候補者が殺到し、審査するほどでした。毎年のように候補者が現れて、次々と報告が冊子となって回って来ました。
なんでこんなに人気があったと思いますか?
それは自分を売り込む絶好の機会と捉えた者が多かったからです。団塊の世代の我々は、仕事で差がつかない公務員生活を送っていました。そこに画期的なものが出てきたということなのです。
結果はどれもこれも同じようなものが報告されたのです。
公務員と言うのは同じような性質、性格をもった動物なのです。何年かやっていると頭がそうなってしまうのです。
ですからどこかの市町村に行って研究するのですが、その際研究対象はいわゆる箱モノです。行ってくる来ることより、帰ってから報告書をまとめる為の資料が豊富なことが、その研究対象になるのです。
箱モノでたとえば立派な芸術劇場を建てたとしましょう。まずどのような物を建てるか検討委員会が発足します。何回も重ねられた会議録が残ります。使用目的の検討、デザイナーや業者の選定、様々な段階での検討資料がもらえるのです。
行ってくるより帰ってから、それが公務員根性です。
やがて努力は出世に何にも役立たないことが分かると、志願者は無くなります。金太郎あめのような研究報告を行っても、誰も感心しないのだから自明の結果なのです。
担当者は困ってしまいますよね。この方親しくはなかったのですが、かなり個性的で理論家肌の人でした。
制度が始まって6、7年ほどたった時でしょうか、思った通り私のところに来ましたね。「やってくれない。やる奴がいなくなっちゃったんだよ。お願い」
頼まれたなら仕方がないので、私は確か3つほどテーマを上げて、その中から選んでもらうことにしました。
そのひとつが「サッカー文化について」でした。実は本当のところはこれを選んでほしくなかったのです。まとめるのが大変そうでしたから。
ところが案の定これをやってと言われてしまいました。
現在その考え方は徐々に変わってきていますが、日本ではスポーツをするものは「勉強が出来ない、頭が悪い奴がやるもの」と言う意識がありました。いわんやスポーツを文化としてとらえることなど、一般の認識にはありません。
サッカーの経験など、小学校中学校でボール蹴り程度の経験しかありません。さて資料集めをしなくてはなりません。
今のようにインターネットなどない時代です。市の図書館に行きますが、スポーツ文化の資料など皆無です。
船を漕ぎだしたのは好いが、取り付く島もなくいきなり大海原に出てしまいました。
困った時の国会図書館でした。卒論でお世話になったので、躊躇することなく向かいました。
しかしサッカーと文化について書かれたようなものは全くありませんでした。
あったのは「サッカーマガジン」などの月刊誌だけでした。
これらのバックナンバーを丹念に辿っていくと、日本のサッカー発展の歴史が分かるようになりました。
日本ではスポーツは学校から始まることが多いのです。野球もしかりです。特に目にとまったのは高校サッカーです。
埼玉の浦和、静岡の藤枝、清水、京都、九州の大分、福岡、鹿児島だったでしょうか。
そこで清水市を選定しました。調べてみるとここのサッカーは、一人の教師が発展のキーポイントであったのでした。
ひとしきり調べてみたのでですが、はて肝心な文化とどのように結びつくかが見えてきません。そこで今は教師から市の体育科の課長になられていた、堀田氏に電話を掛けることになりました。
ひとしきり訪問の趣旨を話し承諾を得た後「ところでサッカー文化について書かれた文献などあるでしょうか」返事はこうです。「あんたそんなものあるわけないでしょう」つい公務員根性が出てしまい、怒られてしまいました。
訪問時の話は次に書きます。
その日の夕方、「今日は清水FCの練習があるから見に来なさい」と言うことで、午後5時頃でした。小学校の校庭には立派な照明設備がありました。そこにはスポーツ少年団の指導者もいらっしゃって、挨拶をして訪問の目的を話し名刺交換をしました。ここでもいろいろ貴重なお話をうかがえました。
なにしろ清水市のサッカーは盛んで、小学校の試合で入場料をとっても観客が集まるそうです。そこで潤沢な資金で、市内の小中学校にはすべて照明設備が整っているそうなのです。
清水FCの練習は始めてみたのですが、目を見張るようなものでした。小学生は中学校生、中学生は高校生か大学生、高校生は大人が練習しているような迫力でした。
その日は堀田氏が来るということで、選手はかなり緊張していたみたいでした。その練習風景は今も目に焼き付いていますが、その時飛んでいたアドバイスは即今の日本代表やJリーガーにも通じるものでした。そのくらいレベルの高い内容でした。
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2010年7月11日|コメント (0)|トラックバック (0)
カテゴリー:つれずれ思ったこと
マクロビオティック事始め その1
こんにちは、ホームページ「手のひら先生のリウマチ相談室」を運営している、手のひら先生こと長谷川和正です。「リウマチの広場(by 手のひら先生)」として、高麗手指鍼治療にまつわるお話をいたします。このほか「手のひら先生の治療日誌」と「手のひら先生のリウマチ相談室ブログ」もありますのでこちらもよろしくお願いたします 。
マクロビオティック事始め その1
ようやく血圧に関しては主治医が決まりそうです。緊急時なので西洋医学に頼らざるを得ません。
医師に言われました。「よく死ななかった」それほど脳幹出血は重大な疾患だったのです。後遺症の辛さからみても、それは実感です。「おそらく高麗手指鍼をしていたので、命は取り留めそれほどの後遺症には為らなかったのではないでしょうか」この言葉に医師は興味を示し、ひとしきり鍼の話をしてきました。
ところで私の先輩でありアドバイザーの方が、治療先の東大眼科の医者に私のことを話したらしいのですが、「その方すごいですね」と言われたらしいです。死なないでかつそれほど後遺症が起きなかったので。
さて血圧のことですが、件の医師が「なんでそんなに血圧が高くなったんだろう?」と言われたので、思いを巡らしマクロビオティックが浮かびました。桜沢如一氏のことは知っていましたし、ご本も購入していました。
しかし難解な内容であったので、もっと入門書を求めました。
久司道夫氏の書籍に出会い購入し、今読み始めました。理論的な背景はまさに東洋医学的そのものです。
血圧が上がった当時の食生活を思い出してみれば、まさに陰陽の食事のバランスを乱していたことにすぐ気がつきました。
私の血液検査数値は正常です。肉食に偏っていることはありませんし、外食やコンビニに偏ったこともありません。
昨年は西式健康法の観点から、少食を務めていました。しかしその内容を検討すれば、コーヒーに砂糖を入れ過ぎていたかもしれません。炭水化物に偏っていた、それも精製した穀物であったようです。
ミネラルが少なかったかもしれません。サプリメントはもう30年以上個人輸入して、免疫や抗酸化には気を付けていたはずですが。
やはり視点を変えてみれば、何かが足りなかったのかもしれません。
現在まで理解したところでは、その食事の基本は玄米食にあるとのことです。
白米の魅力は、貧乏時代の麦ごはんを知る者にとっては、トラウマになっています。
これを乗り越えれば、私にとってまた新しい世界が開けそうです。
なお「手のひら先生のリウマチ相談室」では手のひら先生がおこなっている、リウマチを始めとする高麗手指鍼の難病治療を紹介しております。是非ご覧ください。
マクロビオティック事始め その1
ようやく血圧に関しては主治医が決まりそうです。緊急時なので西洋医学に頼らざるを得ません。
医師に言われました。「よく死ななかった」それほど脳幹出血は重大な疾患だったのです。後遺症の辛さからみても、それは実感です。「おそらく高麗手指鍼をしていたので、命は取り留めそれほどの後遺症には為らなかったのではないでしょうか」この言葉に医師は興味を示し、ひとしきり鍼の話をしてきました。
ところで私の先輩でありアドバイザーの方が、治療先の東大眼科の医者に私のことを話したらしいのですが、「その方すごいですね」と言われたらしいです。死なないでかつそれほど後遺症が起きなかったので。
さて血圧のことですが、件の医師が「なんでそんなに血圧が高くなったんだろう?」と言われたので、思いを巡らしマクロビオティックが浮かびました。桜沢如一氏のことは知っていましたし、ご本も購入していました。
しかし難解な内容であったので、もっと入門書を求めました。
久司道夫氏の書籍に出会い購入し、今読み始めました。理論的な背景はまさに東洋医学的そのものです。
血圧が上がった当時の食生活を思い出してみれば、まさに陰陽の食事のバランスを乱していたことにすぐ気がつきました。
私の血液検査数値は正常です。肉食に偏っていることはありませんし、外食やコンビニに偏ったこともありません。
昨年は西式健康法の観点から、少食を務めていました。しかしその内容を検討すれば、コーヒーに砂糖を入れ過ぎていたかもしれません。炭水化物に偏っていた、それも精製した穀物であったようです。
ミネラルが少なかったかもしれません。サプリメントはもう30年以上個人輸入して、免疫や抗酸化には気を付けていたはずですが。
やはり視点を変えてみれば、何かが足りなかったのかもしれません。
現在まで理解したところでは、その食事の基本は玄米食にあるとのことです。
白米の魅力は、貧乏時代の麦ごはんを知る者にとっては、トラウマになっています。
これを乗り越えれば、私にとってまた新しい世界が開けそうです。
なお「手のひら先生のリウマチ相談室」では手のひら先生がおこなっている、リウマチを始めとする高麗手指鍼の難病治療を紹介しております。是非ご覧ください。
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2010年7月 6日|コメント (0)|トラックバック (0)
カテゴリー:マクロビオティック
脳卒中治療日誌 NO.14
こんにちは、ホームページ「手のひら先生のリウマチ相談室」を運営している、手のひら先生こと長谷川和正です。「リウマチの広場(by 手のひら先生)」として、高麗手指鍼治療にまつわるお話をいたします。このほか「手のひら先生の治療日誌」と「手のひら先生のリウマチ相談室ブログ」もありますのでこちらもよろしくお願いたします 。
脳卒中治療日誌 第14回目
昨日6月21日のNHKテレビ「鶴瓶の家族に乾杯」を見ました。
冒頭に出会った方は近くの中華料理店の店主で、脳卒中のリハビリを行っている最中でした。
昨年2月に発症し最初は車いすに座ることも出来なかったのが、今は杖もつかず歩けるまで回復されていました。
テレビ収録から考えておそらく16カ月での回復は、リハビリに相当努力された結果だったでしょう。左手が頭まで上がって触れた時は、本当にうれしかったとおっしゃっていました。
早く良くなって元の仕事ができるようになりたいとも言っていました。
印象的なことは「本当につらい、ほかの人はこのようなことにならないようにしてほしい」と言う、実感がこもった警鐘でした。
坐骨神経痛でもなんでも、病気のつらさはなった者しか分かりません。その者たちが貴重な言葉を発信しても、やはり悲劇は繰り返されてしまいます。
私の場合運動制限はあっても麻痺はしませんでした。不幸中の幸いかもしれませんが、自分で鍼治療を行っていたことも、障害を最小限にしたことと無関係ではなかったと思っています。
それにしても辛いです。彼の言葉には共感できます。腕や胸や肩などが常に万力で締め付けられるような感じがあります。自ら治療を行っているので、徐々に和らいできてはいますがそれでも苦しいものです。これはどうしようもないもので、西洋医学は全く関知することのない分野です。
改めてこの病気が重傷だったのだと知った次第です。
身体に自信があるものほど、暴飲暴食しても高血圧であっても、過信しがちなのです。私の義弟もいつも最高血圧が160以上あったのですが、気にもせず病院にも行きませんでした。診断され何か言われるのが怖かったからです。
良く男が「おれは医者嫌いだ。病院は嫌いだ」と言うものがいます。そのほとんどは小心もので、何か診断を下されるのが怖いのです。しかし正確な診断を受け、自らの状態を自覚することは本当に大切なことです。確かに薬は副作用が怖いのですが、脳卒中のような障害や麻痺を起こすことを、最大限避けることは心がけるべきなのです。
もし自らが治療できないなら、ほとんどの方はそうでしょうが、運よく目が覚めて絶望の淵に立たされるより、検診を受けることはたやすいことです。
彼のリハビリはそれこそ地獄のようなところから始まったことでしょう。
鶴瓶の家族に乾杯「前川清 茨城県潮来市」(前編)
2010年06月21日 20:00?20:43
トータルコメ数:218コメ
平均コメ数:5コメ/分
テレビジン
脳卒中治療日誌 第14回目
昨日6月21日のNHKテレビ「鶴瓶の家族に乾杯」を見ました。
冒頭に出会った方は近くの中華料理店の店主で、脳卒中のリハビリを行っている最中でした。
昨年2月に発症し最初は車いすに座ることも出来なかったのが、今は杖もつかず歩けるまで回復されていました。
テレビ収録から考えておそらく16カ月での回復は、リハビリに相当努力された結果だったでしょう。左手が頭まで上がって触れた時は、本当にうれしかったとおっしゃっていました。
早く良くなって元の仕事ができるようになりたいとも言っていました。
印象的なことは「本当につらい、ほかの人はこのようなことにならないようにしてほしい」と言う、実感がこもった警鐘でした。
坐骨神経痛でもなんでも、病気のつらさはなった者しか分かりません。その者たちが貴重な言葉を発信しても、やはり悲劇は繰り返されてしまいます。
私の場合運動制限はあっても麻痺はしませんでした。不幸中の幸いかもしれませんが、自分で鍼治療を行っていたことも、障害を最小限にしたことと無関係ではなかったと思っています。
それにしても辛いです。彼の言葉には共感できます。腕や胸や肩などが常に万力で締め付けられるような感じがあります。自ら治療を行っているので、徐々に和らいできてはいますがそれでも苦しいものです。これはどうしようもないもので、西洋医学は全く関知することのない分野です。
改めてこの病気が重傷だったのだと知った次第です。
身体に自信があるものほど、暴飲暴食しても高血圧であっても、過信しがちなのです。私の義弟もいつも最高血圧が160以上あったのですが、気にもせず病院にも行きませんでした。診断され何か言われるのが怖かったからです。
良く男が「おれは医者嫌いだ。病院は嫌いだ」と言うものがいます。そのほとんどは小心もので、何か診断を下されるのが怖いのです。しかし正確な診断を受け、自らの状態を自覚することは本当に大切なことです。確かに薬は副作用が怖いのですが、脳卒中のような障害や麻痺を起こすことを、最大限避けることは心がけるべきなのです。
もし自らが治療できないなら、ほとんどの方はそうでしょうが、運よく目が覚めて絶望の淵に立たされるより、検診を受けることはたやすいことです。
彼のリハビリはそれこそ地獄のようなところから始まったことでしょう。
鶴瓶の家族に乾杯「前川清 茨城県潮来市」(前編)
2010年06月21日 20:00?20:43
トータルコメ数:218コメ
平均コメ数:5コメ/分
テレビジン
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2010年6月22日|コメント (0)|トラックバック (0)
カテゴリー:脳卒中治療日誌
水道橋博士緊急入院
水道橋博士が緊急入院
今日ミヤネ屋を見ていたら、水道橋博士が入院したとのニュースがありビックリしました。
髄膜炎との報道もあったようですが、どうやら前立腺肥大による、尿道閉鎖からくる尿毒症の類のようです。一安心でしょう。
わが母校明治大学を入学から3日で退学、なのに中退と履歴に書いているとんでもない奴と思っていたのですが。どうやらご本人も
それは気にしていることを、週刊文春の阿川佐和子のインタビュうー記事で述べているのを知りまして、意外とかわいいやつとそれからは
注目して見ていました。
髄膜炎なら細菌が脳に入ったりして重病になります。
以前知り合いのお子さんが罹り、生きる死ぬの大騒ぎだったことを思い出しました。
小児科医院に行っていたのですが風邪と診断されていました。しかしなかなか治らないので、大病院で見たところ髄膜炎の診断を受けました。
助かったのですが、その副作用で知能が2から3歳も発達したそうです。
前立腺肥大は亡くなった父も患ったことがありますが、鍼を使えば簡単な治療になります。言ってもと身体に刺す鍼では、治療は難しいかもしれません。
なぜなら数年前鍼灸師会の会報に、ノコギリヤシの広告が載っていたからです。ああ!鍼灸師は治せないんだと知りました。
私はこんなことで治るんだと思っていますが、人には教えません。企業秘密です。こう言っておかないと、人の努力と言うものを全く分からない輩が、
平然として教えてくれと電話を掛けてくることが多々あります。この国の情報価値に対する認識はどうなっているのかと思います。
前立腺肥大なら、普通は手術で処置してしまうでしょう。薬は効果ありません。
父がお腹が痛いと言うので病院へ連れて行き、検査をしたら膀胱が異常に肥大していました。2リットルぐらい出ていなかったのではないでしょうか。
その尿が逆流し腎臓から身体に回って、精神的にもおかしかったことがあります。
前立腺肥大は男性の宿命のような病気ですが、世の中には簡単に対処でいる方法もあります。
今日ミヤネ屋を見ていたら、水道橋博士が入院したとのニュースがありビックリしました。
髄膜炎との報道もあったようですが、どうやら前立腺肥大による、尿道閉鎖からくる尿毒症の類のようです。一安心でしょう。
わが母校明治大学を入学から3日で退学、なのに中退と履歴に書いているとんでもない奴と思っていたのですが。どうやらご本人も
それは気にしていることを、週刊文春の阿川佐和子のインタビュうー記事で述べているのを知りまして、意外とかわいいやつとそれからは
注目して見ていました。
髄膜炎なら細菌が脳に入ったりして重病になります。
以前知り合いのお子さんが罹り、生きる死ぬの大騒ぎだったことを思い出しました。
小児科医院に行っていたのですが風邪と診断されていました。しかしなかなか治らないので、大病院で見たところ髄膜炎の診断を受けました。
助かったのですが、その副作用で知能が2から3歳も発達したそうです。
前立腺肥大は亡くなった父も患ったことがありますが、鍼を使えば簡単な治療になります。言ってもと身体に刺す鍼では、治療は難しいかもしれません。
なぜなら数年前鍼灸師会の会報に、ノコギリヤシの広告が載っていたからです。ああ!鍼灸師は治せないんだと知りました。
私はこんなことで治るんだと思っていますが、人には教えません。企業秘密です。こう言っておかないと、人の努力と言うものを全く分からない輩が、
平然として教えてくれと電話を掛けてくることが多々あります。この国の情報価値に対する認識はどうなっているのかと思います。
前立腺肥大なら、普通は手術で処置してしまうでしょう。薬は効果ありません。
父がお腹が痛いと言うので病院へ連れて行き、検査をしたら膀胱が異常に肥大していました。2リットルぐらい出ていなかったのではないでしょうか。
その尿が逆流し腎臓から身体に回って、精神的にもおかしかったことがあります。
前立腺肥大は男性の宿命のような病気ですが、世の中には簡単に対処でいる方法もあります。
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2010年6月21日|コメント (0)|トラックバック (1)
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