手のひら先生の東洋医学講座 6 予後について
私が鍼灸学校入学したのは、40歳でした。すぐ転職するなんて思っても見なくて、定年後に出来たらな、とぼんやりと想像した程度でした。20年前の常識では、転職するなら30代にしなければ成功しないとされました。
しかし勉強が進むにつれなるべく早く開業しようと考え始めました。その際道は二つに分かれているように思えました。ひとつは治療主体に進むか、原典を読み解いて治療法を探っていくまでになるか。しかし年齢を考えまた漢文をどこまで深めていけるか、それを考えると治療に進むしか道はありません。
今の中国古典研究者のレベルは、想像を超えているように思いました。私も一時そのような研究会に参加したのですが、この漢字の形はどの時代に使われていた云々などと言われると、漢文自体読み解けないのにさらに多くの書物の比較研究をするなど、めまいがする思いなのでした。選択の道は1つしかないのです。
そこで今回改めて、中国医学・東洋医学とはどのように考えられてきたのかを、文献を読みながら考えようと思ったわけです。今回は予後についての記事がありましたので、これについて「気」のことも入れて考えて見ましょう。
予後と言うのは、この病気がこの先治るのか治らないのかを判断するとのことです。西洋医学では予後をはっきりと判断できるのは、骨折の場合だけです。何ヶ月の重症と言うのは、医師が経験から判断しているようです。
さて、鍼灸学校に入ると脈を診ることの意味を習います。脈は治療をするため、どこに鍼を打つかを決めるために見るのです。しかしもう1つ重要な意味を教えられるのです。それは病人の予後を診るということです。「この患者は生きるのか死ぬのか。治療すべきか止めるべき重病なのかを診る」のが脈診なのです。
本から引用すると
「病気が何であるかということより、病気がどうなるかを知りたいたい欲求は、特に扁鵲は、治療法の発達していない時代、ますます切実なものがあったに違いない。ここに占いの介入する余地がある。」
「古代では病気の予言はむしろシャーマンの管轄であった。」
「言葉の正しい意味における予後は、患者に属するものではなく医師に属するものである。」
「予後と言う言葉自体「予後卜占」から出たといわれるからい占い的要素が必然的に含まれる」 「(予後を間違ったシャーマンは殺され、言い当てた扁鵲は莫大な金銭を得た)このことは古代において、医者の優劣が予言の能力にかかっていたことを意味するだろう。もちろん占術と医術の区別は、扁鵲において明確に意識されていた。・・・超能力を授けられ四診を否定する扁鵲は、本当は経験にたけた医者だったに違いない。」
などの文章を拾ってみました。
ここではヒポクラテスのギリシャ時代の医者の例も挙げて、いかに医者の地位が低かったのかを説明している。医者が偉くなったのは、そう遠い昔ではなさそうです。
東洋医学では、望聞問切と言う言葉で四つの診断方法を行なう。望は顔を見たり立ち位置、歩行などから判断、聞は匂いをかぐことになる。東洋医学では臓器と匂いを関連させて五香という。例えば肝臓はあぶらくさい、心臓は焦げ臭い、膵(脾)臓は香ばしい、肺はなまぐさし、腎臓はくされくさし、となっています。
問は問診で症状などを聞きくこと。切は切診で脈を診たり、経絡が張っているかなどを見ることです。
この四診で予後を占うことが出来るのは、脈診です。脈は前に述べたように予後を診断することもします。ここに脈法手引草と言う脈診の本があります。ここには七死の脈があります。雀啄・屋漏・弾石・解索・魚翔・蝦遊・釜沸と言う脈状を説明し、これが出ると死ぬ運命であるとしている。
そのほかでは予後を判定することは、中々難しいことになります。
したがって扁鵲を初めとする、古代中国の名医譚で予後をぴたりと当てたことに触れると、読むものは信じられない作り話としてしまうのであろう。
私の経験からすれば、予後は判断できる。ただし現在の私の力量からだと、成功率は少なめにすると50パーセントぐらいである。先生に聞くと「自分の脳はどのくらいで病気や怪我が治るかは分かっている」そうなのです。だから聞くことが出来ると言うのです。それ以上のことを聞こうとすると、それはあちらの世界に聞くことになるそうです。ここまで来ると、まさに中国古代の、シャーマンと医師の関係にも似てきます。それで先生が仰るには「その答えを治療家として答えると、予後の推定になる。占い師が答えると、それは占いになる」とのことです。
面白くありませんか?私は自分で使って見て、経験してみて、とっても面白いと思っています。
しかし勉強が進むにつれなるべく早く開業しようと考え始めました。その際道は二つに分かれているように思えました。ひとつは治療主体に進むか、原典を読み解いて治療法を探っていくまでになるか。しかし年齢を考えまた漢文をどこまで深めていけるか、それを考えると治療に進むしか道はありません。
今の中国古典研究者のレベルは、想像を超えているように思いました。私も一時そのような研究会に参加したのですが、この漢字の形はどの時代に使われていた云々などと言われると、漢文自体読み解けないのにさらに多くの書物の比較研究をするなど、めまいがする思いなのでした。選択の道は1つしかないのです。
そこで今回改めて、中国医学・東洋医学とはどのように考えられてきたのかを、文献を読みながら考えようと思ったわけです。今回は予後についての記事がありましたので、これについて「気」のことも入れて考えて見ましょう。
予後と言うのは、この病気がこの先治るのか治らないのかを判断するとのことです。西洋医学では予後をはっきりと判断できるのは、骨折の場合だけです。何ヶ月の重症と言うのは、医師が経験から判断しているようです。
さて、鍼灸学校に入ると脈を診ることの意味を習います。脈は治療をするため、どこに鍼を打つかを決めるために見るのです。しかしもう1つ重要な意味を教えられるのです。それは病人の予後を診るということです。「この患者は生きるのか死ぬのか。治療すべきか止めるべき重病なのかを診る」のが脈診なのです。
本から引用すると
「病気が何であるかということより、病気がどうなるかを知りたいたい欲求は、特に扁鵲は、治療法の発達していない時代、ますます切実なものがあったに違いない。ここに占いの介入する余地がある。」
「古代では病気の予言はむしろシャーマンの管轄であった。」
「言葉の正しい意味における予後は、患者に属するものではなく医師に属するものである。」
「予後と言う言葉自体「予後卜占」から出たといわれるからい占い的要素が必然的に含まれる」 「(予後を間違ったシャーマンは殺され、言い当てた扁鵲は莫大な金銭を得た)このことは古代において、医者の優劣が予言の能力にかかっていたことを意味するだろう。もちろん占術と医術の区別は、扁鵲において明確に意識されていた。・・・超能力を授けられ四診を否定する扁鵲は、本当は経験にたけた医者だったに違いない。」
などの文章を拾ってみました。
ここではヒポクラテスのギリシャ時代の医者の例も挙げて、いかに医者の地位が低かったのかを説明している。医者が偉くなったのは、そう遠い昔ではなさそうです。
東洋医学では、望聞問切と言う言葉で四つの診断方法を行なう。望は顔を見たり立ち位置、歩行などから判断、聞は匂いをかぐことになる。東洋医学では臓器と匂いを関連させて五香という。例えば肝臓はあぶらくさい、心臓は焦げ臭い、膵(脾)臓は香ばしい、肺はなまぐさし、腎臓はくされくさし、となっています。
問は問診で症状などを聞きくこと。切は切診で脈を診たり、経絡が張っているかなどを見ることです。
この四診で予後を占うことが出来るのは、脈診です。脈は前に述べたように予後を診断することもします。ここに脈法手引草と言う脈診の本があります。ここには七死の脈があります。雀啄・屋漏・弾石・解索・魚翔・蝦遊・釜沸と言う脈状を説明し、これが出ると死ぬ運命であるとしている。
そのほかでは予後を判定することは、中々難しいことになります。
したがって扁鵲を初めとする、古代中国の名医譚で予後をぴたりと当てたことに触れると、読むものは信じられない作り話としてしまうのであろう。
私の経験からすれば、予後は判断できる。ただし現在の私の力量からだと、成功率は少なめにすると50パーセントぐらいである。先生に聞くと「自分の脳はどのくらいで病気や怪我が治るかは分かっている」そうなのです。だから聞くことが出来ると言うのです。それ以上のことを聞こうとすると、それはあちらの世界に聞くことになるそうです。ここまで来ると、まさに中国古代の、シャーマンと医師の関係にも似てきます。それで先生が仰るには「その答えを治療家として答えると、予後の推定になる。占い師が答えると、それは占いになる」とのことです。
面白くありませんか?私は自分で使って見て、経験してみて、とっても面白いと思っています。
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2009年6月18日|コメント (0)|トラックバック (0)
カテゴリー:東洋医学講座
手のひら先生の東洋医学講座 5
手のひら先生の東洋医学講座 5
兪跗や扁鵲もこう呼ばれた同名の医者が多くいたと推定されると言っているので、彼らの中には透視術を行なったものがいたり、そのほかの診断技術を駆使したりする者、様々な診断治療技術を取得したものがいたであろう。だからこれこれの技術は扁鵲のものであり、透視術はインドのジーヴァカの話と似ているので、これは扁鵲の名を高くするための作り話とするのは、私としては疑問であり、気について知らないものの単なる推論としか思えない。
私がなぜこのようにこだわるのかと言うと、もちろん私の気のレベルが高いからではありません。鍼灸学校入学まで「気」のことは全く知りませんでした。ところがあんまの先生、井上良太先生が仰った「君ら、あんまも鍼灸師も同じことをして治しているんだ。気を駆使して病気を治しているんだ」先生の意図はどこにあったのかは分かりませんが、この言葉が私にインパクトを与えたのでした。「気って何?」!!
20年前ですのでインターネットはないものの、情報収集のアンテナを張っていると、様々なものが飛び込んできます。神保町に書泉グランデと言う大きな本屋があります。ここの2階は知る人ぞ知る、本のワンダーランドです。伝統的宗教からオカルト、20年も前でしたからオームの浅原彰晃が表紙を飾っていた雑誌もありました。
まがまがしいまたはおどろおどろしい本を取捨選択していく中に、自分にあった気の情報が得られたのです。でもいきなり飛び込むには躊躇します。それなりの慎重さを持ってハードルを乗り越えないと、何も得られないで終わって時間とお金を消費することになってしまいます。
私は「気」そのものが何であるのか、全く分からないところから出発しました。本当に何が何んだか分からずに、それでも治療家としての「気」を習得するためと思い、気功を行なっていきました。そこで先生もすばらしかったのですが、オーラが見えるようになり背後霊と言われているものも体験できました。
背後霊は偶然の出来事で見ることが出来たのです。先生時々教室をサボるのです。それも突然前触れもなくです。お手伝いしてくださるお弟子さんも困って、今日はいくつかのグループに分かれてのレッスンです。私たちのグループを指導してくださった方は、「今日は先生がいないので、私の背後霊をお見せします。でも向かって左側は良いのですが、右側は良くないのでそちらは見ないようにしてください」と仰って、やおら印を結んで呪文を唱えました。すると顔の左側に大きな顔らしきものが現れました。6人ほどでしたが「オオーッ」と声を上げました。
帰りに私が誘って喫茶店に集まり今日の感想を述べ合いました。6人のうち1人は見えなかったそうです。それは日頃気功の修練をしていなかったからだ、そう結論が出ました。あとの5人は全員見えたそうです。お一人の女性は「私は占い師をしているのですが、オーラなどは小さい時から見え続けている」そう仰っていました。今日のようなことはそう珍しいことでもなかったようでした。
その後様々な話や経験をつんで至った結論は、この手の背後霊と見えるのは、その人の潜在意識が表れているのだと言うことです。占い師がその人に質問もしないで悩みをずばり当てる超能力みたいですが、ある少数の方たちにとってはごく自然なことのようです。ただそれを日常生活の中で他の人に言うと、「あいつは変な奴といわれてしまう」のが落ちなので、敢えて言わないようなのです。
その後、鍼灸臨床の授業の時先生が「うちの親父はすごい。ある日母親に抱きかかえられて来た娘がいた。親父が私を招いて言うには、お前あの娘は恋わずらいだ。そのような治療をしろ。母親に確かめると、確かに事実だった。」このような事実を積み上げて考えた結論が、上記のような潜在意識が表に表れると言う結論でした。よくテレビなどで占い師が、質問もしないのに本人の悩みを次々に当てるのは、これを見ながら言うだけなのと思っています。過去は当るが未来は当らないということになるのでしょう。未来を見るのは、占いの技術でしか分からないからです。
気功の師は「私はからだを流れる気が見える」と仰っていました。信じられないと言う方もいらっしゃるでしょうが、農工大学の教授が細胞が発するフォトンと言う光の写真撮影に成功したことがあります。また長浜義雄博士が、経絡現象に敏感な患者の研究をしたことがあります。身体の中を流れる「気」を見える人達がいたまたはいる。だから気の調整も出来たのだと、今は考えるようになっています。
また数年前フジテレビでしたか、内臓が見えるロシア女性が出演していました。「?」と思って見ていましたが、基本的には信じています。人間には普通では考えられない能力が、まだまだ秘められているからと思うからです。一概にこれを否定することはたやすいが、それでは進歩はないと思うからです。
しかし世の中には本当の超能力もあるようで、未来を見透かすことが出来た方もいたようです。これはまたの機会にしましょう。
兪跗や扁鵲もこう呼ばれた同名の医者が多くいたと推定されると言っているので、彼らの中には透視術を行なったものがいたり、そのほかの診断技術を駆使したりする者、様々な診断治療技術を取得したものがいたであろう。だからこれこれの技術は扁鵲のものであり、透視術はインドのジーヴァカの話と似ているので、これは扁鵲の名を高くするための作り話とするのは、私としては疑問であり、気について知らないものの単なる推論としか思えない。
私がなぜこのようにこだわるのかと言うと、もちろん私の気のレベルが高いからではありません。鍼灸学校入学まで「気」のことは全く知りませんでした。ところがあんまの先生、井上良太先生が仰った「君ら、あんまも鍼灸師も同じことをして治しているんだ。気を駆使して病気を治しているんだ」先生の意図はどこにあったのかは分かりませんが、この言葉が私にインパクトを与えたのでした。「気って何?」!!
20年前ですのでインターネットはないものの、情報収集のアンテナを張っていると、様々なものが飛び込んできます。神保町に書泉グランデと言う大きな本屋があります。ここの2階は知る人ぞ知る、本のワンダーランドです。伝統的宗教からオカルト、20年も前でしたからオームの浅原彰晃が表紙を飾っていた雑誌もありました。
まがまがしいまたはおどろおどろしい本を取捨選択していく中に、自分にあった気の情報が得られたのです。でもいきなり飛び込むには躊躇します。それなりの慎重さを持ってハードルを乗り越えないと、何も得られないで終わって時間とお金を消費することになってしまいます。
私は「気」そのものが何であるのか、全く分からないところから出発しました。本当に何が何んだか分からずに、それでも治療家としての「気」を習得するためと思い、気功を行なっていきました。そこで先生もすばらしかったのですが、オーラが見えるようになり背後霊と言われているものも体験できました。
背後霊は偶然の出来事で見ることが出来たのです。先生時々教室をサボるのです。それも突然前触れもなくです。お手伝いしてくださるお弟子さんも困って、今日はいくつかのグループに分かれてのレッスンです。私たちのグループを指導してくださった方は、「今日は先生がいないので、私の背後霊をお見せします。でも向かって左側は良いのですが、右側は良くないのでそちらは見ないようにしてください」と仰って、やおら印を結んで呪文を唱えました。すると顔の左側に大きな顔らしきものが現れました。6人ほどでしたが「オオーッ」と声を上げました。
帰りに私が誘って喫茶店に集まり今日の感想を述べ合いました。6人のうち1人は見えなかったそうです。それは日頃気功の修練をしていなかったからだ、そう結論が出ました。あとの5人は全員見えたそうです。お一人の女性は「私は占い師をしているのですが、オーラなどは小さい時から見え続けている」そう仰っていました。今日のようなことはそう珍しいことでもなかったようでした。
その後様々な話や経験をつんで至った結論は、この手の背後霊と見えるのは、その人の潜在意識が表れているのだと言うことです。占い師がその人に質問もしないで悩みをずばり当てる超能力みたいですが、ある少数の方たちにとってはごく自然なことのようです。ただそれを日常生活の中で他の人に言うと、「あいつは変な奴といわれてしまう」のが落ちなので、敢えて言わないようなのです。
その後、鍼灸臨床の授業の時先生が「うちの親父はすごい。ある日母親に抱きかかえられて来た娘がいた。親父が私を招いて言うには、お前あの娘は恋わずらいだ。そのような治療をしろ。母親に確かめると、確かに事実だった。」このような事実を積み上げて考えた結論が、上記のような潜在意識が表に表れると言う結論でした。よくテレビなどで占い師が、質問もしないのに本人の悩みを次々に当てるのは、これを見ながら言うだけなのと思っています。過去は当るが未来は当らないということになるのでしょう。未来を見るのは、占いの技術でしか分からないからです。
気功の師は「私はからだを流れる気が見える」と仰っていました。信じられないと言う方もいらっしゃるでしょうが、農工大学の教授が細胞が発するフォトンと言う光の写真撮影に成功したことがあります。また長浜義雄博士が、経絡現象に敏感な患者の研究をしたことがあります。身体の中を流れる「気」を見える人達がいたまたはいる。だから気の調整も出来たのだと、今は考えるようになっています。
また数年前フジテレビでしたか、内臓が見えるロシア女性が出演していました。「?」と思って見ていましたが、基本的には信じています。人間には普通では考えられない能力が、まだまだ秘められているからと思うからです。一概にこれを否定することはたやすいが、それでは進歩はないと思うからです。
しかし世の中には本当の超能力もあるようで、未来を見透かすことが出来た方もいたようです。これはまたの機会にしましょう。
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2009年6月15日|コメント (0)|トラックバック (0)
カテゴリー:東洋医学講座
手のひら先生の東洋医学講座 4
現在東洋医学にはない外科が、中国の古代にはあったわけで、その当初は戦国時代にまで遡ると著者は推論しています。なおかつ兪跗と言う外科医は、インドやイラン伝来の手術を行っていたと言うことです。さらに源流はインドより西にまで広がるのです。
ここで重要な点が指摘されている。兪跗に対抗した扁鵲の功績とされる、気や陰陽で把握する液体病理説の形成と鍼の発明である。
この扁鵲 姓は秦 名を越人という。伝説の1つに彼の超能力がある。透視術である。今で言えばレントゲン写真がこれに当る。
彼はそれを仙人から授かったという話になっている。『史記』扁鵲倉公列伝には、彼が旅館の支配人をしていた時に、客の長桑君に医術の秘伝書と透視術を授かったことになっている。
本書から少し長く引用させてもらいます。『この話はもとより歴史的事実ではあるまい。白鳥庫吉は戯作小説の類と断じて、扁鵲の実在性さえ否定しようとした。白鳥は、「起死回生の仁術即ち開祖として拵えた扁鵲に、威厳と信用とを与えんが為に、道家方士者の流が自家の教理・信仰を吹き込んだ物語である」と言い、長桑君を「東海の仙人、扶桑木の化身」と見なした。確かに神怪な話殻始まるうえに、矛盾と混乱を含むこの伝記は、資料的価値を減じているが、しかし、歴史家司馬遷は伝承された話ありのままに採録舌と思う。重要なことは説話のスタイルと意味である。
医者が透視術を手に入れて奇跡治療に成功すると言うモチーフは、前に引いたジーヴァカ〔インドの伝説の名医)の医療譚にもあった。頭痛で死んだ若い娘に開頭手術を施す前、ジーヴァカはレントゲンかと見まがう術で頭の中を透視した。彼が透視術を獲得する経緯は、修行を終えて帰国の途中、次のような一人の児童にあった・・・(同じような能力を得る話が書かれています)』
このような説話が書かれている場合どのような態度で接するか?単なる説話として断じてしまうか否かで、その後の論点が90度180度方向が違ってしまう。
あのトロイの遺跡を発掘したシュリーマンの話をご存知でしょうか。ホメロスの叙事詩「イリアス」に書かれたことを真実と信じて、ついに発掘に成功した話でした。
過去の記述を単なる昔話として片付けてよいのか?これらの問題は日本の「古事記」や日本書紀をとっても、未だに多くの謎を含んで解決は見ていないものが多いのです。作り話とそうでないものの見分けは、それを証明する方法が少ないので課題が多いのです。
特にここでは「気」の問題を含んでいるので、私にとっては見逃せないところです。気のレベルと言うのは素人玄人の区別はなく、先天的または後天的に獲得した内容で、人によってかなりの差があるものです。これは気の質やパワーの程度に差があるということです。
司馬遷は「気」については、常識としてはあったでしょうが、治療家としてや気の専門家までのレベルはなかったでしょう。また本書を表した加納喜光氏も同じだと思います。オーラを見ることが出来るようなレベルにあれば、扁鵲やジーヴァカのような透視術を一刀両断に切り捨てることは出来ないのではないでしょうか。文献研究や歴史家としては秀でていることを認めますが、このようなところに来ると、著者たちが自らの気の常識レベル、一般常識で一刀両断してしまうと言うのは、「はて?」いかがなものかと私は思うのです。
私が20年前に鍼灸学校に通い始めた時、先生は「最近はやっと気のことを言っても理解してくれるようになった。それまでは説明しても中々分かってくれなかった」と仰っていました。時を経るほどに文明の進化と伴に、持ち合わせていた最もプリミティブな能力を失ってきたのでしょう。本来「気」は習うものではなく、備わっている感覚で感じ見るものだと思います。それが多くの人達が感じられなく見られなくなったので、それが常識ではなくなったのが現在の状況なのです。
例えば京都奈良の仏像には、光背というものが後ろにあることがあります。例えて言うならロウソクの炎の形をしているものです。中にはそこに小さな仏様が確かにいくつも付いていることがあります。この形がオーラなのです。昔の人はオーラが見えていたので、仏像もこのように描かれているのだと言われています。
古代には確かに「気」と言うものが常識として「見え・感じられていた」、そのような時代があったのです。
ここで重要な点が指摘されている。兪跗に対抗した扁鵲の功績とされる、気や陰陽で把握する液体病理説の形成と鍼の発明である。
この扁鵲 姓は秦 名を越人という。伝説の1つに彼の超能力がある。透視術である。今で言えばレントゲン写真がこれに当る。
彼はそれを仙人から授かったという話になっている。『史記』扁鵲倉公列伝には、彼が旅館の支配人をしていた時に、客の長桑君に医術の秘伝書と透視術を授かったことになっている。
本書から少し長く引用させてもらいます。『この話はもとより歴史的事実ではあるまい。白鳥庫吉は戯作小説の類と断じて、扁鵲の実在性さえ否定しようとした。白鳥は、「起死回生の仁術即ち開祖として拵えた扁鵲に、威厳と信用とを与えんが為に、道家方士者の流が自家の教理・信仰を吹き込んだ物語である」と言い、長桑君を「東海の仙人、扶桑木の化身」と見なした。確かに神怪な話殻始まるうえに、矛盾と混乱を含むこの伝記は、資料的価値を減じているが、しかし、歴史家司馬遷は伝承された話ありのままに採録舌と思う。重要なことは説話のスタイルと意味である。
医者が透視術を手に入れて奇跡治療に成功すると言うモチーフは、前に引いたジーヴァカ〔インドの伝説の名医)の医療譚にもあった。頭痛で死んだ若い娘に開頭手術を施す前、ジーヴァカはレントゲンかと見まがう術で頭の中を透視した。彼が透視術を獲得する経緯は、修行を終えて帰国の途中、次のような一人の児童にあった・・・(同じような能力を得る話が書かれています)』
このような説話が書かれている場合どのような態度で接するか?単なる説話として断じてしまうか否かで、その後の論点が90度180度方向が違ってしまう。
あのトロイの遺跡を発掘したシュリーマンの話をご存知でしょうか。ホメロスの叙事詩「イリアス」に書かれたことを真実と信じて、ついに発掘に成功した話でした。
過去の記述を単なる昔話として片付けてよいのか?これらの問題は日本の「古事記」や日本書紀をとっても、未だに多くの謎を含んで解決は見ていないものが多いのです。作り話とそうでないものの見分けは、それを証明する方法が少ないので課題が多いのです。
特にここでは「気」の問題を含んでいるので、私にとっては見逃せないところです。気のレベルと言うのは素人玄人の区別はなく、先天的または後天的に獲得した内容で、人によってかなりの差があるものです。これは気の質やパワーの程度に差があるということです。
司馬遷は「気」については、常識としてはあったでしょうが、治療家としてや気の専門家までのレベルはなかったでしょう。また本書を表した加納喜光氏も同じだと思います。オーラを見ることが出来るようなレベルにあれば、扁鵲やジーヴァカのような透視術を一刀両断に切り捨てることは出来ないのではないでしょうか。文献研究や歴史家としては秀でていることを認めますが、このようなところに来ると、著者たちが自らの気の常識レベル、一般常識で一刀両断してしまうと言うのは、「はて?」いかがなものかと私は思うのです。
私が20年前に鍼灸学校に通い始めた時、先生は「最近はやっと気のことを言っても理解してくれるようになった。それまでは説明しても中々分かってくれなかった」と仰っていました。時を経るほどに文明の進化と伴に、持ち合わせていた最もプリミティブな能力を失ってきたのでしょう。本来「気」は習うものではなく、備わっている感覚で感じ見るものだと思います。それが多くの人達が感じられなく見られなくなったので、それが常識ではなくなったのが現在の状況なのです。
例えば京都奈良の仏像には、光背というものが後ろにあることがあります。例えて言うならロウソクの炎の形をしているものです。中にはそこに小さな仏様が確かにいくつも付いていることがあります。この形がオーラなのです。昔の人はオーラが見えていたので、仏像もこのように描かれているのだと言われています。
古代には確かに「気」と言うものが常識として「見え・感じられていた」、そのような時代があったのです。
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2009年6月14日|コメント (0)|トラックバック (0)
カテゴリー:東洋医学講座
手のひら先生の東洋医学講座 3
手のひら先生の東洋医学講座 3
今回からは中国医学研究書 加納喜光著「中国医学の誕生」東京大学出版会を参考に読み解いていきましょう。
一般的には鍼灸など、中国が発祥の地と言う認識があります。しかしここでは、その源流をインド医学にまで辿って見せるのです。
知られていることですが、「素問」異法方宜論編には治療法の起源を次のように説明しています。砭石は東から、毒薬(薬物療法)は西方から、灸は北方から、鍼は南方から、中央は導引・按きょうが起こったと説明されている。
現在東洋医学とは内経医学とも言われ、「内」は内科を意味します。「外経」もあったはずと思われていますが、原典となる書物が今は失われているため、外科が東洋医学には欠けています。
本書の冒頭ではインドの名医ジーヴァカの外科手術紹介をしています。これは中国の名医と言われる、扁鵲や華陀の医話と類似点を見出せるとのことです。
さて中国医学を初めとして、世界で行なわれている医療はどのような歴史があるのか? 廣瀬輝夫 秀明大学医療経営学科主任教授と渥美和彦 東京大学名誉教授の対談 「代替医療のすすめ」日本医療企画 平成13年出版 から拾って見ましょう。
伝統医学として分類されてる インド発祥 アーユルヴェーダ 5000年前 中国医学 4000年前 ユナニ医学 アラブ 3000年前
民族医学として ギリシャ・ローマ発祥 アロマ療法 2500年前 フランス発祥 タラソ療法(指圧・砂浴) 500年前 があります。
インド医学は中国医学に先んずること1000年はあります。世界には各地域に根ざした、伝統医学民族医学と呼ばれる医学の長い歴史があるということです。
西遊記などでも分かるように、仏教の元はインドです。また日本に鍼灸漢方薬が伝わってきたのは、仏教伝来と伴にです。古代の医療の担い手は多くが僧侶であったことなどから類推しても、インドから東洋医学は伝わってきたと判断して良いと思う。
10年近く前だったかと思います。NHKテレビでチベットの医療を特集したことがあります。鍼灸の治療でした。その農民は3日も掛けて、山を越えた村からやってきました。農作業中に突然何回も倒れてしまうと言うことでした。
小さく暗い治療所に彼が一人で椅子に座っています。そこへ3人ほどの医師たちが入れ替わり立ち代り部屋に来ます。やがて診断がついたのか、一人がタコ糸のような紐を持ち、患者の頭のあちら側からこちら側に、両手で持った紐を渡して次々計測していきます。やがて終わったと思ったら、円錐形の形をした 工事中などの標識に使うコーンに似たようなデッカイ鍼でした。それを頭の天辺に刺したのです。それに艾をつけて火をつけます。頭にする温灸治療です。
大丈夫なのかなと見ていましたが、彼は翌日元気に村へ旅立って行きました。とてもシンプルな治療で、鍼の原点を見たような気持ちでした。その時から鍼の祖先は中国よりこちらの方ではないかと思っていました。
今回からは中国医学研究書 加納喜光著「中国医学の誕生」東京大学出版会を参考に読み解いていきましょう。
一般的には鍼灸など、中国が発祥の地と言う認識があります。しかしここでは、その源流をインド医学にまで辿って見せるのです。
知られていることですが、「素問」異法方宜論編には治療法の起源を次のように説明しています。砭石は東から、毒薬(薬物療法)は西方から、灸は北方から、鍼は南方から、中央は導引・按きょうが起こったと説明されている。
現在東洋医学とは内経医学とも言われ、「内」は内科を意味します。「外経」もあったはずと思われていますが、原典となる書物が今は失われているため、外科が東洋医学には欠けています。
本書の冒頭ではインドの名医ジーヴァカの外科手術紹介をしています。これは中国の名医と言われる、扁鵲や華陀の医話と類似点を見出せるとのことです。
さて中国医学を初めとして、世界で行なわれている医療はどのような歴史があるのか? 廣瀬輝夫 秀明大学医療経営学科主任教授と渥美和彦 東京大学名誉教授の対談 「代替医療のすすめ」日本医療企画 平成13年出版 から拾って見ましょう。
伝統医学として分類されてる インド発祥 アーユルヴェーダ 5000年前 中国医学 4000年前 ユナニ医学 アラブ 3000年前
民族医学として ギリシャ・ローマ発祥 アロマ療法 2500年前 フランス発祥 タラソ療法(指圧・砂浴) 500年前 があります。
インド医学は中国医学に先んずること1000年はあります。世界には各地域に根ざした、伝統医学民族医学と呼ばれる医学の長い歴史があるということです。
西遊記などでも分かるように、仏教の元はインドです。また日本に鍼灸漢方薬が伝わってきたのは、仏教伝来と伴にです。古代の医療の担い手は多くが僧侶であったことなどから類推しても、インドから東洋医学は伝わってきたと判断して良いと思う。
10年近く前だったかと思います。NHKテレビでチベットの医療を特集したことがあります。鍼灸の治療でした。その農民は3日も掛けて、山を越えた村からやってきました。農作業中に突然何回も倒れてしまうと言うことでした。
小さく暗い治療所に彼が一人で椅子に座っています。そこへ3人ほどの医師たちが入れ替わり立ち代り部屋に来ます。やがて診断がついたのか、一人がタコ糸のような紐を持ち、患者の頭のあちら側からこちら側に、両手で持った紐を渡して次々計測していきます。やがて終わったと思ったら、円錐形の形をした 工事中などの標識に使うコーンに似たようなデッカイ鍼でした。それを頭の天辺に刺したのです。それに艾をつけて火をつけます。頭にする温灸治療です。
大丈夫なのかなと見ていましたが、彼は翌日元気に村へ旅立って行きました。とてもシンプルな治療で、鍼の原点を見たような気持ちでした。その時から鍼の祖先は中国よりこちらの方ではないかと思っていました。
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手のひら先生の東洋医学講座 2
手のひら先生の東洋医学講座 2
東洋医学を批判する者たちに対して、漢方の論客として名をはせた竹山晋一郎は「君たちはもっと東洋医学を学ぶべきだ」と一喝した。著書「漢方医術復興の理論」で述べています。
昭和初期に書かれた頃も今も、西洋医学から東洋医学への批判は続いていた。そのときの論客が彼であった。
私が考えるのに、西洋医学や西洋哲学から東洋医学や東洋哲学を批判することは出来ない。
話は突然飛んでしまうのだが、東洋医学を体験したりすることで、それが一気に理解できてしまうこともある。有名な話であるが、戦後進駐軍が日本を占領して日本改革を始めた時、鍼灸も廃絶されそうになった。ところがその中の将校の一人が腰痛だかになり、鍼治療を勧められ劇的に治ったことで、医療として生き延びることができた事実がある。
今現役最長老の漢方医、山田光胤先生(昔治療を受けたことがあります。30年前でしたか。)が雑誌に書かれていたのですが、お子さんが病気になって処方に困った時、義父の大塚敬節先生に尋ね処方した。ところが効かなかった。そこで再度質問したところ、「どのように煎じたのか?」と聞かれ「煎じている時に出た灰汁を取り除いて子供に飲ませた」と答えた。義父は「それだから効かないのだ。灰汁もまた薬だ」と答えたそうです。
西洋医学、例えば漢方薬を批判する側だと内科医になると思いますが、批判側は漢方薬を西洋薬と同じような診断で使っているようです。東洋医学の診断処方の「証を立てる」と言うようなことをしていないようです。以前小柴胡湯が肝炎に効いたと言う1点を取り出し、肝硬変患者に大量に投与し結局肝機能障害を起こし、5名だったか死亡患者が出たことがあります。
中国人の漢方医はこのことを、著書の中で驚き且つ笑っていました。彼らにとってもちろん日本の漢方医にとっても、このことは噴飯ものの出来事でしょう。
東洋医学と言うのは、治療段階にまで降りてくると、ごく個人的なレベルに収斂してしまうものだと考えている。だからと言ってこのことが、批判の対象になることではないと思っている。
西洋医学でも、医師個人個人の技量に差があることは否めない事実である。あるところに通院していたら風邪といわれていたが、病院を変えたら胆嚢炎の熱であったなど良く聞くことである。東洋医学ほどその差ははなはだしくはないであろうが、しかし厳然として人間のやることには避けられないことである。
西洋薬は製薬会社が一定の基準で、単一の製品を大量に生産する。漢方薬は漢方医のさじ加減があり、鍼灸師は個々人のつぼの取り方がある。しかしこのことを持って、片方が一方を批判するには当らない。
では東洋医学には基準がないのかと思われるかも知れない。共通の認識、共通の感覚がないのか? そのようなことはない。東洋医学には黄帝内経と言うバイブルがあり、神農本草経や傷寒論など様々な本がある。これを先輩または師と呼ばれるような方を中心にして、本を読むとと同時にその体験を吸収していくのである。鍼灸師は実際の現場において、一つ一つ様々なことを教えてもらうのです。
明治時代に戦争に備え医師法が出来たときから、漢方のこのシステムが大きく崩壊してしまったのである。
もちろんこのシステムを必死に維持している方やグループは存在しますが、実際の需要に対応しきれていないのが現状なのです。修行や弟子入りと言う言葉に置き換えられる、この治療習得システムは辛さが伴います。また入り口が狭い難しさもあります。
さてこのことを書いていてもとりとめがなくなってしまうので、バイブルから治療の末端まで関係し、重要であるにも係らず極く私的な能力と考えられている「気」についての研究に進みましょう。
東洋医学を批判する者たちに対して、漢方の論客として名をはせた竹山晋一郎は「君たちはもっと東洋医学を学ぶべきだ」と一喝した。著書「漢方医術復興の理論」で述べています。
昭和初期に書かれた頃も今も、西洋医学から東洋医学への批判は続いていた。そのときの論客が彼であった。
私が考えるのに、西洋医学や西洋哲学から東洋医学や東洋哲学を批判することは出来ない。
話は突然飛んでしまうのだが、東洋医学を体験したりすることで、それが一気に理解できてしまうこともある。有名な話であるが、戦後進駐軍が日本を占領して日本改革を始めた時、鍼灸も廃絶されそうになった。ところがその中の将校の一人が腰痛だかになり、鍼治療を勧められ劇的に治ったことで、医療として生き延びることができた事実がある。
今現役最長老の漢方医、山田光胤先生(昔治療を受けたことがあります。30年前でしたか。)が雑誌に書かれていたのですが、お子さんが病気になって処方に困った時、義父の大塚敬節先生に尋ね処方した。ところが効かなかった。そこで再度質問したところ、「どのように煎じたのか?」と聞かれ「煎じている時に出た灰汁を取り除いて子供に飲ませた」と答えた。義父は「それだから効かないのだ。灰汁もまた薬だ」と答えたそうです。
西洋医学、例えば漢方薬を批判する側だと内科医になると思いますが、批判側は漢方薬を西洋薬と同じような診断で使っているようです。東洋医学の診断処方の「証を立てる」と言うようなことをしていないようです。以前小柴胡湯が肝炎に効いたと言う1点を取り出し、肝硬変患者に大量に投与し結局肝機能障害を起こし、5名だったか死亡患者が出たことがあります。
中国人の漢方医はこのことを、著書の中で驚き且つ笑っていました。彼らにとってもちろん日本の漢方医にとっても、このことは噴飯ものの出来事でしょう。
東洋医学と言うのは、治療段階にまで降りてくると、ごく個人的なレベルに収斂してしまうものだと考えている。だからと言ってこのことが、批判の対象になることではないと思っている。
西洋医学でも、医師個人個人の技量に差があることは否めない事実である。あるところに通院していたら風邪といわれていたが、病院を変えたら胆嚢炎の熱であったなど良く聞くことである。東洋医学ほどその差ははなはだしくはないであろうが、しかし厳然として人間のやることには避けられないことである。
西洋薬は製薬会社が一定の基準で、単一の製品を大量に生産する。漢方薬は漢方医のさじ加減があり、鍼灸師は個々人のつぼの取り方がある。しかしこのことを持って、片方が一方を批判するには当らない。
では東洋医学には基準がないのかと思われるかも知れない。共通の認識、共通の感覚がないのか? そのようなことはない。東洋医学には黄帝内経と言うバイブルがあり、神農本草経や傷寒論など様々な本がある。これを先輩または師と呼ばれるような方を中心にして、本を読むとと同時にその体験を吸収していくのである。鍼灸師は実際の現場において、一つ一つ様々なことを教えてもらうのです。
明治時代に戦争に備え医師法が出来たときから、漢方のこのシステムが大きく崩壊してしまったのである。
もちろんこのシステムを必死に維持している方やグループは存在しますが、実際の需要に対応しきれていないのが現状なのです。修行や弟子入りと言う言葉に置き換えられる、この治療習得システムは辛さが伴います。また入り口が狭い難しさもあります。
さてこのことを書いていてもとりとめがなくなってしまうので、バイブルから治療の末端まで関係し、重要であるにも係らず極く私的な能力と考えられている「気」についての研究に進みましょう。
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2009年6月11日|コメント (0)|トラックバック (0)
カテゴリー:東洋医学講座
手のひら先生の東洋医学講座 1
今回から「手のひら先生の東洋医学講座」を開講いたします。
最初に皆さんに質問です。東洋医学と西洋医学、一言で表すとするとどのような言葉が浮かびますか?
一言では中々言い表すのは、中々難しいでしょう。
鍼灸学校に入って、最初にこの違いを習うのですが、一言ではありません。
まず、東洋医学は人間全体を見て診断するが、西洋医学は部分即ち患部や症状のみをみて診断する。
西洋医学は、科学的・論理的・演繹法・病名をつけないと治療できない・解剖学的などを特徴としてあげます。
東洋医学は、東洋哲学的・帰納法・診断即治療・病名ではなく証と言うものを立てて治療する・経験的・神経や組織の治療に重きをおくのではなく、「気・血・水」と言うものを治療する
私はこれらをまとめて、東洋医学は「気」の医学、西洋医学は「知」の医学と一言で表現します。
西洋医学はデカルトの「我思うゆえに我あり」の西洋哲学の上に確立した医学です。
一見進歩しているように見える西洋医学ですが、進歩しているのは診断機械や分析方法であって、治療法については一般に思われているほど進化はしていないのが現状です。
これは西洋医学がヨーロッパ発祥と無関係ではありません。地続きのヨーロッパ大陸は、常に伝染病の驚異から逃れることが出来ず、医学はその対策として研究がされてきたのです。カミュの「ペスト」を読まれたことがありますか?ほんの100年にも満たないヨーロッパ世界で、ペストに苦しんでいた西洋世界が描かれています。
いかにして病原体を探し出すか、西洋医学の大きな問題はそのことだったのです。それが特長であり現代には欠点を持つ医学として認識されるのです。
東洋医学の特徴は現代人が中々理解できにくい「気」をベースに、理論構成や治療が行なわれていることが、特長であり欠点でもあるのです。
ではこの「気」とは何か?これをテーマに講座を勧めていきます。
私は20年前鍼灸学校に入学するまで「気」なんて言葉は頭にはありませんでした。鍼灸治療もあと20年後の定年を迎えたら、老後の仕事に鍼灸でもやろうかぐらいに思っていました。それがあんまの師、井上良太先生が「あんまも鍼灸師もおんなじことをして治療しているんだぜ。気を使うことだ」と仰った一言で「気」に目覚めてしまったのです。
その後様々な情報収集をして、気功やレイキなどを通して、目に見えない「気」そのものを最初に体感してしまったのです。オーラを見ることで、鍼灸師が手元で何を行なっているか見てしまいました。鍼灸とは「ツボを選んで鍼を刺すことが最重要ではなく、気を如何にして患者に送ることが大事か」を見てしまいました。
現在は、気のコントロールが出来ます。しかし気功師のようなパワーがあるとは思っていません。気功師のレベルは必要ないと思っているので、そこまでの努力はしようと思っていないからです。
一般の方に気を出させる「霊授またはイニシエーション」といわれる、レイキの技術を持っています。また一般的に知られている呼吸法によって出す気の方法も教えることが出来ます。
東洋医学は「気」が中心であるのに、治療家やセミナー講師にも「気」が分かっていない人もいます。実際。
例えば、治療はよくできなおしているのだが、それが「気で治していると理解していない」。「気」のことを説明しているのだが、文献に書いているから言っているだけで、この人は「気」を実感していないなと見える方。
私は治療を優先してきたので、この「気」について今までの方たちはどのように考えているのか、これを研究する余裕がありませんでした。
今回このブログを通して、この方面を少し掘り下げてみようと考えました。ただし膨大な文献をいまさらながら読み解くのは能力的には無理なので、先達の書籍を読み解くことで、「文献に現れた気とは何か」「先人が考えた気とはどのようなものか」を、治療にいかに役立てられるか?この視点で理解していきます
最初に皆さんに質問です。東洋医学と西洋医学、一言で表すとするとどのような言葉が浮かびますか?
一言では中々言い表すのは、中々難しいでしょう。
鍼灸学校に入って、最初にこの違いを習うのですが、一言ではありません。
まず、東洋医学は人間全体を見て診断するが、西洋医学は部分即ち患部や症状のみをみて診断する。
西洋医学は、科学的・論理的・演繹法・病名をつけないと治療できない・解剖学的などを特徴としてあげます。
東洋医学は、東洋哲学的・帰納法・診断即治療・病名ではなく証と言うものを立てて治療する・経験的・神経や組織の治療に重きをおくのではなく、「気・血・水」と言うものを治療する
私はこれらをまとめて、東洋医学は「気」の医学、西洋医学は「知」の医学と一言で表現します。
西洋医学はデカルトの「我思うゆえに我あり」の西洋哲学の上に確立した医学です。
一見進歩しているように見える西洋医学ですが、進歩しているのは診断機械や分析方法であって、治療法については一般に思われているほど進化はしていないのが現状です。
これは西洋医学がヨーロッパ発祥と無関係ではありません。地続きのヨーロッパ大陸は、常に伝染病の驚異から逃れることが出来ず、医学はその対策として研究がされてきたのです。カミュの「ペスト」を読まれたことがありますか?ほんの100年にも満たないヨーロッパ世界で、ペストに苦しんでいた西洋世界が描かれています。
いかにして病原体を探し出すか、西洋医学の大きな問題はそのことだったのです。それが特長であり現代には欠点を持つ医学として認識されるのです。
東洋医学の特徴は現代人が中々理解できにくい「気」をベースに、理論構成や治療が行なわれていることが、特長であり欠点でもあるのです。
ではこの「気」とは何か?これをテーマに講座を勧めていきます。
私は20年前鍼灸学校に入学するまで「気」なんて言葉は頭にはありませんでした。鍼灸治療もあと20年後の定年を迎えたら、老後の仕事に鍼灸でもやろうかぐらいに思っていました。それがあんまの師、井上良太先生が「あんまも鍼灸師もおんなじことをして治療しているんだぜ。気を使うことだ」と仰った一言で「気」に目覚めてしまったのです。
その後様々な情報収集をして、気功やレイキなどを通して、目に見えない「気」そのものを最初に体感してしまったのです。オーラを見ることで、鍼灸師が手元で何を行なっているか見てしまいました。鍼灸とは「ツボを選んで鍼を刺すことが最重要ではなく、気を如何にして患者に送ることが大事か」を見てしまいました。
現在は、気のコントロールが出来ます。しかし気功師のようなパワーがあるとは思っていません。気功師のレベルは必要ないと思っているので、そこまでの努力はしようと思っていないからです。
一般の方に気を出させる「霊授またはイニシエーション」といわれる、レイキの技術を持っています。また一般的に知られている呼吸法によって出す気の方法も教えることが出来ます。
東洋医学は「気」が中心であるのに、治療家やセミナー講師にも「気」が分かっていない人もいます。実際。
例えば、治療はよくできなおしているのだが、それが「気で治していると理解していない」。「気」のことを説明しているのだが、文献に書いているから言っているだけで、この人は「気」を実感していないなと見える方。
私は治療を優先してきたので、この「気」について今までの方たちはどのように考えているのか、これを研究する余裕がありませんでした。
今回このブログを通して、この方面を少し掘り下げてみようと考えました。ただし膨大な文献をいまさらながら読み解くのは能力的には無理なので、先達の書籍を読み解くことで、「文献に現れた気とは何か」「先人が考えた気とはどのようなものか」を、治療にいかに役立てられるか?この視点で理解していきます
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