手のひら先生の東洋医学講座 6 予後について
私が鍼灸学校入学したのは、40歳でした。すぐ転職するなんて思っても見なくて、定年後に出来たらな、とぼんやりと想像した程度でした。20年前の常識では、転職するなら30代にしなければ成功しないとされました。
しかし勉強が進むにつれなるべく早く開業しようと考え始めました。その際道は二つに分かれているように思えました。ひとつは治療主体に進むか、原典を読み解いて治療法を探っていくまでになるか。しかし年齢を考えまた漢文をどこまで深めていけるか、それを考えると治療に進むしか道はありません。
今の中国古典研究者のレベルは、想像を超えているように思いました。私も一時そのような研究会に参加したのですが、この漢字の形はどの時代に使われていた云々などと言われると、漢文自体読み解けないのにさらに多くの書物の比較研究をするなど、めまいがする思いなのでした。選択の道は1つしかないのです。
そこで今回改めて、中国医学・東洋医学とはどのように考えられてきたのかを、文献を読みながら考えようと思ったわけです。今回は予後についての記事がありましたので、これについて「気」のことも入れて考えて見ましょう。
予後と言うのは、この病気がこの先治るのか治らないのかを判断するとのことです。西洋医学では予後をはっきりと判断できるのは、骨折の場合だけです。何ヶ月の重症と言うのは、医師が経験から判断しているようです。
さて、鍼灸学校に入ると脈を診ることの意味を習います。脈は治療をするため、どこに鍼を打つかを決めるために見るのです。しかしもう1つ重要な意味を教えられるのです。それは病人の予後を診るということです。「この患者は生きるのか死ぬのか。治療すべきか止めるべき重病なのかを診る」のが脈診なのです。
本から引用すると
「病気が何であるかということより、病気がどうなるかを知りたいたい欲求は、特に扁鵲は、治療法の発達していない時代、ますます切実なものがあったに違いない。ここに占いの介入する余地がある。」
「古代では病気の予言はむしろシャーマンの管轄であった。」
「言葉の正しい意味における予後は、患者に属するものではなく医師に属するものである。」
「予後と言う言葉自体「予後卜占」から出たといわれるからい占い的要素が必然的に含まれる」 「(予後を間違ったシャーマンは殺され、言い当てた扁鵲は莫大な金銭を得た)このことは古代において、医者の優劣が予言の能力にかかっていたことを意味するだろう。もちろん占術と医術の区別は、扁鵲において明確に意識されていた。・・・超能力を授けられ四診を否定する扁鵲は、本当は経験にたけた医者だったに違いない。」
などの文章を拾ってみました。
ここではヒポクラテスのギリシャ時代の医者の例も挙げて、いかに医者の地位が低かったのかを説明している。医者が偉くなったのは、そう遠い昔ではなさそうです。
東洋医学では、望聞問切と言う言葉で四つの診断方法を行なう。望は顔を見たり立ち位置、歩行などから判断、聞は匂いをかぐことになる。東洋医学では臓器と匂いを関連させて五香という。例えば肝臓はあぶらくさい、心臓は焦げ臭い、膵(脾)臓は香ばしい、肺はなまぐさし、腎臓はくされくさし、となっています。
問は問診で症状などを聞きくこと。切は切診で脈を診たり、経絡が張っているかなどを見ることです。
この四診で予後を占うことが出来るのは、脈診です。脈は前に述べたように予後を診断することもします。ここに脈法手引草と言う脈診の本があります。ここには七死の脈があります。雀啄・屋漏・弾石・解索・魚翔・蝦遊・釜沸と言う脈状を説明し、これが出ると死ぬ運命であるとしている。
そのほかでは予後を判定することは、中々難しいことになります。
したがって扁鵲を初めとする、古代中国の名医譚で予後をぴたりと当てたことに触れると、読むものは信じられない作り話としてしまうのであろう。
私の経験からすれば、予後は判断できる。ただし現在の私の力量からだと、成功率は少なめにすると50パーセントぐらいである。先生に聞くと「自分の脳はどのくらいで病気や怪我が治るかは分かっている」そうなのです。だから聞くことが出来ると言うのです。それ以上のことを聞こうとすると、それはあちらの世界に聞くことになるそうです。ここまで来ると、まさに中国古代の、シャーマンと医師の関係にも似てきます。それで先生が仰るには「その答えを治療家として答えると、予後の推定になる。占い師が答えると、それは占いになる」とのことです。
面白くありませんか?私は自分で使って見て、経験してみて、とっても面白いと思っています。
しかし勉強が進むにつれなるべく早く開業しようと考え始めました。その際道は二つに分かれているように思えました。ひとつは治療主体に進むか、原典を読み解いて治療法を探っていくまでになるか。しかし年齢を考えまた漢文をどこまで深めていけるか、それを考えると治療に進むしか道はありません。
今の中国古典研究者のレベルは、想像を超えているように思いました。私も一時そのような研究会に参加したのですが、この漢字の形はどの時代に使われていた云々などと言われると、漢文自体読み解けないのにさらに多くの書物の比較研究をするなど、めまいがする思いなのでした。選択の道は1つしかないのです。
そこで今回改めて、中国医学・東洋医学とはどのように考えられてきたのかを、文献を読みながら考えようと思ったわけです。今回は予後についての記事がありましたので、これについて「気」のことも入れて考えて見ましょう。
予後と言うのは、この病気がこの先治るのか治らないのかを判断するとのことです。西洋医学では予後をはっきりと判断できるのは、骨折の場合だけです。何ヶ月の重症と言うのは、医師が経験から判断しているようです。
さて、鍼灸学校に入ると脈を診ることの意味を習います。脈は治療をするため、どこに鍼を打つかを決めるために見るのです。しかしもう1つ重要な意味を教えられるのです。それは病人の予後を診るということです。「この患者は生きるのか死ぬのか。治療すべきか止めるべき重病なのかを診る」のが脈診なのです。
本から引用すると
「病気が何であるかということより、病気がどうなるかを知りたいたい欲求は、特に扁鵲は、治療法の発達していない時代、ますます切実なものがあったに違いない。ここに占いの介入する余地がある。」
「古代では病気の予言はむしろシャーマンの管轄であった。」
「言葉の正しい意味における予後は、患者に属するものではなく医師に属するものである。」
「予後と言う言葉自体「予後卜占」から出たといわれるからい占い的要素が必然的に含まれる」 「(予後を間違ったシャーマンは殺され、言い当てた扁鵲は莫大な金銭を得た)このことは古代において、医者の優劣が予言の能力にかかっていたことを意味するだろう。もちろん占術と医術の区別は、扁鵲において明確に意識されていた。・・・超能力を授けられ四診を否定する扁鵲は、本当は経験にたけた医者だったに違いない。」
などの文章を拾ってみました。
ここではヒポクラテスのギリシャ時代の医者の例も挙げて、いかに医者の地位が低かったのかを説明している。医者が偉くなったのは、そう遠い昔ではなさそうです。
東洋医学では、望聞問切と言う言葉で四つの診断方法を行なう。望は顔を見たり立ち位置、歩行などから判断、聞は匂いをかぐことになる。東洋医学では臓器と匂いを関連させて五香という。例えば肝臓はあぶらくさい、心臓は焦げ臭い、膵(脾)臓は香ばしい、肺はなまぐさし、腎臓はくされくさし、となっています。
問は問診で症状などを聞きくこと。切は切診で脈を診たり、経絡が張っているかなどを見ることです。
この四診で予後を占うことが出来るのは、脈診です。脈は前に述べたように予後を診断することもします。ここに脈法手引草と言う脈診の本があります。ここには七死の脈があります。雀啄・屋漏・弾石・解索・魚翔・蝦遊・釜沸と言う脈状を説明し、これが出ると死ぬ運命であるとしている。
そのほかでは予後を判定することは、中々難しいことになります。
したがって扁鵲を初めとする、古代中国の名医譚で予後をぴたりと当てたことに触れると、読むものは信じられない作り話としてしまうのであろう。
私の経験からすれば、予後は判断できる。ただし現在の私の力量からだと、成功率は少なめにすると50パーセントぐらいである。先生に聞くと「自分の脳はどのくらいで病気や怪我が治るかは分かっている」そうなのです。だから聞くことが出来ると言うのです。それ以上のことを聞こうとすると、それはあちらの世界に聞くことになるそうです。ここまで来ると、まさに中国古代の、シャーマンと医師の関係にも似てきます。それで先生が仰るには「その答えを治療家として答えると、予後の推定になる。占い師が答えると、それは占いになる」とのことです。
面白くありませんか?私は自分で使って見て、経験してみて、とっても面白いと思っています。
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2009年6月18日|コメント (0)|トラックバック (0)
カテゴリー:東洋医学講座
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